ウイーン菓子と私
ウイーン菓子と私
日本で「ウイーン菓子」と呼ばれる「オーストリアのお菓子」を私が知ったのは仕事を始めてからでした。専門学校を卒業後、母校に勤務する事となったのですが、ヨーロッパの国々によってお菓子が分類されている事を当時は理解しておらず、入職してから詳しい分類を知りました。
フランス菓子と呼ばれるものとも、ドイツ菓子と呼ばれるものとも違うオーストリアのそのお菓子は、「特別なもの」として扱われていて、私も長い間「自分には縁の遠いもの」という印象を持ち続けていました。そんな私が入職して12年目に突然ウイーンへ研修に行く事となり、ウイーン菓子を好きになるきっかけを頂いたのです。入職6年目にドイツ・オッフェンブルグで研修をしていましたし、在職10年を越えてから未経験の場所への研修は珍しい事。話を頂いてから出発まで、半月程しかなかったという突然過ぎた研修の話でしたし、気持ちとしては後ろ向きな出発でした。
研修を始めた時期は11月の末。シュトレンの仕込みこそほぼ終わっていましたが、最初に配属されたマジパンのポストでは連日、聖ニコラウスとクランプ(鬼)の作成や特別注文のマジパン作成に追われ、かなり忙しい状況でした。まだ暗闇である朝5時30分に店に入り、本来は13時過ぎには終わる予定の勤務でしたが、忙しい時期は仕事もかなりあって、新年を過ぎてしばらくするまでは連日15時くらいまで仕事。帰りの市電を待つ頃には夕闇が迫る時間で、明るい空を見ないまま過ごす日々は、何とも寂しい気持ちでした。そんな仕事の中で少しずつ見えてきた事は、あんなに特別視していたウイーン菓子はフランス菓子やドイツ菓子と大きな差がないという事。もちろん、お菓子が持っている特徴や味、成り立ちは多少違うのですが、和菓子と洋菓子のように製造方法が大きく違う事はなく、お菓子がどのような成り立ちをしていて、何を食べさせたいお菓子であるかという事を理解すれば、私が知っている基本と大きな違いがないと感じるようになりました。ヨーロッパのお菓子は国によって違いがありますが、製造方法の基本はどの国にも通じているのです。
日本で(私の職場で)特別視されていたのは、お菓子の特徴やお菓子の成り立ち、何を食べさせる事を目的にしたお菓子であるか?という事を周りに理解されてなかったが故だと感じたのです。仕事に慣れ、次々と色んなお菓子に触れて理解し、経験をさせて頂けるようになれば、ウイーン菓子への理解が深まり、どんどん好きになって行きました。日本を出る時、気持ちが乗らなかったのが嘘のように。特別視されている事も何だか違うし、もっともっと理解して貰って、ウイーン菓子と呼ばれるオーストリアのお菓子をもっと広く知って貰いたいとさえ思うようになったのです。
専門学校を退職した今も、その気持ちは変わっていません。今現在、オーストリアのお菓子は日本での知名度がとても低く、一部のマニア受けのお菓子の様に言われています。しかし、カフェの文化が発達しているウイーンで、カフェでは欠かせない存在であるお菓子。
日本でも本物の味を伝えられるよう、一人でも多くの方にどんなお菓子であるか知って頂けるよう、今ではお菓子教室という形でウイーンのお菓子を伝え続けています。
私が感じたウイーン気質
私が感じたウイーン気質
専門学校入職12年目に、思いも寄らなかったウイーン研修をする事になった私は、突然過ぎた事と憧れや思い入れがなかった事で、気持ちは後ろ向きな状態で日本を出発。
ウイーンへの気持ちは期待ではなく、どこか「仕方なく」という気持ちと不安の様なものでした。しかし、旅行では何度か訪れた事のある場所でしたし、ドイツでの研修先も方言の混ざってた南部。同じドイツ語圏での研修なので、お菓子の違いくらいで大きな差はないだろうと思ってウイーンへ。ところが国が違えば人間の気質も違う!一週間も経たないうちに、ウイーンの人の冷たさを感じていました。
ドイツの研修時代は私自身が若かった事もあってか、知らないドイツの人からもとても親切にして頂き、見知らぬドイツの人と相席でお茶をした事も度々。辿々しいドイツ語で色んな会話をした思い出がありました。しかし、ウイーンでは「何?その冷たい態度?!」という思いを何度したか…。私だけそう感じてるのかな?と思った頃、日本から旅行で来た専門学校の学生が「先生!同じドイツ語圏やのに、ドイツの人は親切でウイーンの人が冷たいのは何故?」と訊かれ、同じ印象を持っている人が居る事を確信。
当時、研修を始めて10日ほどの私には解りませんでしたが、研修を終える頃に思った感想は京都人に似てる気質なのでは?という事。ドイツと違って、見ず知らずのよその人には距離を置き、少し冷たいと思える態度になるんですが、仲良くなって身内とみて貰えると、とても優しく親身に接してくれる…。
そういえば、街や昔からの古い伝統を守り、観光都市として成功している所も京都と似てるかも。
ドイツが特殊であったのかも知れませんが、ドイツでは一人で食事やお茶をしていると相席をお願いされて、それをきっかけに色んなお話をしたりする事が度々ありました。大抵は老夫婦であったり、年輩の方なのですが、とても素敵で楽しい時間を過ごさせて頂きました。ドイツでの研修中の様に、街で見知らぬ人と交流が生まれる事が殆どなかったのは、ウイーンの人がもつ気質のせいなのかも知れません。冷たいと感じたウイーンの人々も、研修中には親しい人も出来ましたし、シェフとご家族の皆さんは私を家族のように支えて下さいました。随分親身になって頂きましたし、同僚や周りの人も仲良くなれば冷たさは感じませんでしたが、街では「あ?、冷たい」と感じる事もしばしば。今でも「何か京都っぽいなぁ」と感じる街です。それでも本当はとても素敵な人々で、素敵な街であるウイーン。ドイツと同じくらい、何度行っても好きと思える場所なのです。
ウイーンにおける、年末年始の過ごし方
ウイーンにおける、年末年始の過ごし方
この季節、ウイーンを訪ねると、街はクリスマスの名残でとても華やかな雰囲気。このクリスマスの雰囲気は、クリスマスマーケットの準備が始まる11月から年明け1月初旬まで続きます。日本ではクリスマスには友人や仲間と集まって、わいわい賑やかにパーティーをしたりして過ごし、お正月は家族や親族と過ごす事が一般的ですが、ヨーロッパでは全く逆。クリスマスは日本の正月そのものといった雰囲気なのです。ヨーロッパでも、国によって少し違うようですが、オーストリアではクリスマス当日の25日は勿論26日も祝日で、この2日間ほぼ全てのお店がお休み。24日の昼過ぎにはあちこちの店がシャッターを下ろし始めるので、それまでに買い物を済ませておかないと、2日半欲しいものは簡単に手に入らなくなります。まるで、昔の日本の正月です。クリスマスイヴである24日は夕方、夜、夜中とミサが行われ、それこそ本当に厳かにキリストの生誕を祝う祈りが捧げられます。25日はまるで新年の始まり。しんとした空気の中、家族揃ってこの日を迎えられた事を喜び感謝して、親戚や親しい人達が挨拶に訪れたり逆に挨拶に伺ったり。テレビでは教会からの中継が行われ、各地のミサの風景や少年合唱団の歌声を映し出します。お店が閉まって人影もまばらな静かな街、いつもと違う特別な食卓、お客様の出入り、テレビ中継、どれを取っても本当に日本の正月そのもの。最近の日本は正月に街が静かになる事が無くなってきたので、厳密に言うと「昔の日本の正月」ですが、本当に同じ様な空気があり、改めて神様に感謝する日であると感じるのです。
その後、1月6日は公現祭と言って、東方三博士がキリストに礼拝したとされる祝日。この祝日までツリーなども飾ったままクリスマス色が抜けないのです。そして、クリスマスの一週間後に迎える新年の雰囲気は全く逆。厳かな雰囲気はなく、友人達と集まって、賑やかにお祭りのような騒ぎの中、新しい年を祝うという感じ。日本では初詣に出掛けたりして、神に感謝する大晦日から新年の時間は、ウイーンではお洒落をしてコンサートに出掛けたり、友人達と過ごしたり、楽しむ空気で満たされます。
ムジークフェラインでは恒例の年越しコンサートが行われますが、街ではクラシック音楽を中心に演奏する場所、若者向けのロックを奏でる場所など、色々な野外コンサートが行われたり、楽しむ為の場所があちこちに現れます。市庁舎の前にはクリスマスマーケットの名残である出店の他にコンサート用のステージが設けられ、楽団が出て音楽を奏でます。集まった市民はただその音楽を聴く人だけでなく、音楽に合わせて好き好きに踊ったり本当に楽しんで賑やかに過ごすのです。
私が滞在していたのは1999年の暮れ。迎える新年は2000年で「ミレニアム」と言われていた年。毎年凄いらしいですが、その日のシュテファンス寺院前広場は大変な騒ぎでした。翌朝、街のあちこちにシャンパンの割れた瓶が転がり、紙吹雪やゴミで凄い状態。「底の薄い靴で歩くと大変だから」と言われ「大袈裟な」と思っていましたが、まんざら嘘でもないと思った程でした。
クリスマスはイブからのんびりした空気が流れ、2日間のお休みがあるのですが、お正月は1日のみがお休みで2日からは通常通り。日本で言う「正月気分」をクリスマスから過ごし、その気分は新年をきっかけに抜くという風に感じたものです。日本とは大きく違う雰囲気がある年末年始ですが、文化を感じられる期間でもあるので、ウイーンでの年越しを味わってみるのも良いのではないでしょうか。
社交界・ワルツを踊るウイーン
社交界・ワルツを踊るウイーン
ウィーンと言って、まず浮かぶのは「音楽の街」という事。私も「ウィーンに留学中」という日本人に会うと、音楽を勉強しに来た人?と思ったし、相手からも同じ事を言われたりしました。その音楽を楽しむものとして、ワルツも有名なのですが、音楽を奏でてワルツを踊る「舞踏会」は今もウイーンに残る文化のひとつなのです。
1月から2月はその舞踏会「バル」の季節。あちこちでバル(舞踏会)が開催され、18歳になる人はここで社交界デビューをします。日本の旅行会社も「バルに参加してみよう」というような旅行を企画しているようですが、本来は業種や階級別に設定されていて、弁護士でもない人が弁護士のバルに参加したり、医者でもない人が医者のバルに参加したりはしません。日本人の「お見合いパーティー感覚」で「憧れの職業の人と知り合いたい」という気持ちで参加するものではなく、同じ業種や階級の人が顔を合わせる社交界なのです。
バルには男女共に正装での参加。男性は燕尾服、女性はドレス姿で会場を訪れます。白のドレスを着る女性は、その年社交界デビューをする若い人。他の女性はとても鮮やかな色のドレスで着飾ります。会場の華やかさに着飾った人々が更に華を添え、きらびやかな世界となるのです。そして、何より大切なのはそこに相応しい品格。所作は勿論ですが、ワルツを踊れる事もひとつの重要事項となります。
その事を踏まえてか、普段のパーティーでもワルツを踊る場があるようで、シェフ宅の長男(当時9歳)は2歳上と6歳上のお姉ちゃんにワルツを教えて貰ってました。遊んでいるのかと思ったら、数週間後に友達の誕生日があるから特訓しているとの事。その特訓の数週間後にパーティーから帰って来た彼は、小さい男の子ながらも立派に正装をして、日本で考える「友達の誕生日パーティー」とは違っている事を物語ってました。小さい時からこういった事を覚え、外での振る舞いや人との関わりを学ぶ。舞踏会を開催する社交界が存在するウイーンは、こんな素敵な教育もしていると実感しました。
私も滞在中、シェフから「ツッカベッカー(菓子製造業者)のバルに参加しよう」と誘われたのですが、これに参加するにはドレスや靴だけでなく、ワルツを踊れる「たしなみ」が必要。とても興味がありましたし、参加したい気持ちは山々でしたが、私には遠い「社交界」でした。
街ではバルの季節にちなんで、ショーウインドーには仮面のディスプレーが多く見掛けられるようになります。テレビのニュースでも「今日は○○のバルが開催されました」とか報道されたりします。
私達には少し敷居の高いバルですが、雰囲気を味わえる季節です。
春を感じる季節・復活祭と旬のもの
春を感じる季節・復活祭と旬のもの
ヨーロッパにはクリスマスと同じくらい大切な行事として、復活祭があります。キリストの復活を祝うこの行事は、「春分の日から初めて満月になった、すぐ後の日曜日」という移動祝日である為、毎年3月の終わりから4月の間で移動します。(今年、2008年は3月23日です。)
3月に入ると、クリスマスの時と同じ様に市が出たり、復活祭用の飾りやお菓子、プレゼントが並びます。クリスマスの時のように、その日を迎える準備をしたり、行事に沿ったものを食したり、特別な空気が味わえる雰囲気になるのです。ドイツ語圏でよく見掛けるのは、復活祭用の木の枝に飾る美しい卵。本物の卵の中身を抜き、丁寧に綺麗な絵付けをされた飾り用の卵は、安いもので5ユーロくらいからあるのですが、細工が細かいものや絵付けが丁寧なものは10ユーロを軽く越えます。これをたくさん枝に吊して家に飾るのは、クリスマスツリーを飾る感覚に似ていると思える習慣。街のショーウインドーにもプレゼント用のディスプレイが並び、本当にクリスマスに似た雰囲気です。
菓子店ではチョコレートやマジパンで作られた卵が並んだり、この時期にしか食べない発酵菓子が売られたりするようになります。チョコレートやマジパンは贈り物にしたりするので、この季節とてもたくさん仕込みました。子供達は復活祭に卵の形やうさぎの形をしたチョコレートやマジパンを貰う事を、とても楽しみにしているのです。
この時期、春を感じる食べ物として、ホワイトアスパラガスも店頭に並び始め、レストランなどでも季節ものとして登場します。他の野菜に比べても価格は高く、缶詰のホワイトアスパラガスしか知らないと、美味しさを想像出来ず、興味を持たないのですが、本来はとても美味しいもの。初めてご馳走になった時は、その甘みと食感にとても感動しました。今では春にヨーロッパを訪れると、必ず食べたいと思うくらい、季節のご馳走として認識しているくらいです。
ヨーロッパの冬は日照時間が短くて、日中も曇ってて暗い印象を強く感じる為、春の訪れは誰もが心待ちにしています。復活祭の季節になれば、少しずつ日照時間も長くなり、3月の末には夏時間への変更もあるので、暗く長い冬の終焉を実感出来るようになります。街中が復活祭の準備で華やいだり、アスパラガスなど春を感じる食べ物が出るこの季節は、ウイーンの人達にとって心待ちにしていた春の季節。私にとっても、好物や雰囲気を味わう為に何度も訪れたくなる季節であったりします。
春本番・シャニガルテンを楽しむ人々
春本番・シャニガルテンを楽しむ人々
春本番のこの季節、菓子店や街は少し落ち着きます。11月からクリスマスの準備が始まり、1月中旬までクリスマスの雰囲気で、その後はバルで賑わったり街の広場には冬らしくスケートリンクが出来たり、どこかイベント続きの空気が抜けない状態。3月から4月に掛けて復活祭があって、復活祭用の市が出たりして賑やかな空気なのですが、これが終わったらいきなり今までのイベント色が抜け、がらんとした広場や平常の菓子店の雰囲気が寂しいと感じるくらい。しかし、日照時間が長くなり、服装も軽やかで街は明るい空気になります。
少しずつ暖かくなるこの季節、ウイーンのカフェやレストランには「シャニガルテン」と呼ばれる席が設けられます。各店舗の外に、柵や植木で囲って作られたテラス席をこう呼ぶのですが、このシャニガルテンが出始めれば、少し寒くてもここでお茶を楽しむ人が増えます。寒い冬に浴びる事が出来なかった日光を、少しでも浴びようとしているかのように、少々寒くても外の席を選ぶのです。
この時期、菓子店で見掛けられるお菓子にも、少し変化が出ます。ナッツやチョコレートなどが大好きで、ザッハトルテやドボストルテなどに代表されるように、伝統的なお菓子も重いものが多いのですが、気温が上がってくるとヨーグルトを使った軽いお菓子を出す店も出て来て、少し夏を意識している様子が見掛けられます。濃厚でどっしりした味のものより、さっぱりと食べられる味のものが好まれる季節に変化していると感じられるようになります。日本でならこんなお菓子もシャニガルテンも6月以降に出て来そうなものなのですが、ウイーンでは少し暖かくなった春先に登場するのがお国柄?こうする事で、一刻も早い夏の到来を待っているかのようです。
冬場のウイーンは本当に寒くて、私が滞在中「今日は暖かいなぁ」と感じて街にある温度計を見たら、マイナス3℃だったという事が。だいたいマイナス10℃からマイナス5℃が普通であったので、その温度が暖かく感じられたのでしょう。そんな寒い季節を経験しているので、4月に私達が感じる寒さなんて、ウイーンの人には何でもないのかも知れません。私ならまだ店内の席で暖まりたいと思う気温でも、太陽が出ていればシャニガルテンで食事やお茶を楽しんでる人が増えるのです。
少し寒いと感じても、外で食事をしたりお茶を飲むのは格別なもの。太陽の下でゆっくり出来る、シャニガルテンの季節になりました。
ウイーンのカフェ、今と昔
ウイーンのカフェ、今と昔
オーストリアの人々にとって、欠かせないものとしてカフェの存在があります。お菓子店に併設されたカフェ、食事の美味しいカフェ、音楽を楽しめるカフェ、ゲーム台などを置いているカフェなど様々。朝からカフェでお茶や朝食を楽しむ人、ランチで利用する人がいるのは勿論ですが、何より午後に利用する事は日常となっているので、昼下がりには何処のお店も常連さんでいっぱいになります。
私が足繁く通ったのはカフェコンディトライと呼ばれる、お菓子店に併設されたカフェで、お菓子が美味しいと言われている色々なお店で、色々なお菓子を楽しみました。
気軽に利用出来るような雰囲気ではないのですが、お洒落な店内でゆっくりとした時間を楽しみ、お菓子を食べる事はとても勉強になる時間でした。まだ、海外での生活経験がなかった頃、カフェにはみんなお洒落をして出掛けると聞いていたのですが、生活してみて解ったのは、お洒落をして出掛けるというより、お洒落で裕福な人々が利用するカフェを私達が利用しているという事。
ヨーロッパは完全な階級社会で、私が勤めていたハイナーなど「王室御用達」と言われるカフェに出入りする人もみな、それなりに裕福と言われる階級であるか余裕のある生活をしている方達である為、お洒落な人が多いのです。
様々なカフェが多く存在するウイーンには、学生などお小遣いに余裕のない人が利用するカフェもあります。店内は気軽な雰囲気ですが、それでもヨーロッパらしさはあって、カフェの文化が根付いている事を感じました。そんな中に近年、スタンド式のカフェが登場したのは驚きでした。私が滞在していた2000年にウイーンの目抜き通り「ケルントナーシュトラーセ」にイタリア系のスタンドカフェがオープンしたのですが、何だか少し場違いな感じ。気楽に利用出来るのですが、何か少し違うなぁ…と感じていたら、数年後には閉店していました。
しかし数年後、そこから少し離れた場所に日本でも店舗を増やし続けているスターバックスがオープンしました。同じ様なカフェがすぐに閉店したし、長くは保たないのでは?と思っていたのですが、今もケルントナーシュトラーセの入り口でしっかり街の一部になりつつあります。それが影響してか、ホテルザッハが気楽に入れるカフェをケルントナーに面した位置にオープンさせ、連日観光客で賑わっています。現代のニーズに合っているのか、気楽に入る事が出来るカフェもウイーンに根付きつつあるようです。
お店の雰囲気や内容は様々ですが、各々に自分がお気に入りのお店があり、お茶をしながら食べる事を楽しんだり、おしゃべりに興じたり、音楽やゲームなどを楽しんで各々の時間を満喫する。安らぎの場であったり、交流の場であるのがカフェなのです
ウィーンの食・日本との違い
ウィーンの食・日本との違い
ヨーロッパを訪ねる楽しみのひとつに、本場で美味しいものを食べるという事があります。
日本では見られない料理に出会う楽しみがあるのですが、楽しみにしていた食事が思ったほど美味しくなかったという話はよく耳にします。しかし、少し角度を変えて物事を理解し、違いを知った上で口にすれば、美味しいと思える機会は増えます。
ヨーロッパは気候の関係もあって、日本のものと比べると塩分も糖分も強く感じられる食文化があります。お菓子など「甘味」のものが日本より甘い事は割と知られていますが、食事の味が濃くて中でも塩分が強い事はあまり知られていない事実。スープやサラダなどは特に、日本で口にするよりは随分強い味に感じられて、馴れない人はそれだけで「美味しくない」と判断してしまいます。しかし、そういった味覚の違いも文化のひとつ。私も慣れるまでは「もう少し塩分が控えられてたら...」と思ったのですが、角度を変えて「この味が現地の人の好み」と文化の違いを理解しようと思うようになってからは、勉強として吸収出来る事が増えました。どの国で食べてもまずハズレのない中国料理もやっぱり塩分強めであるとか、お菓子にも塩を使う事が普通であるとか、色々な面で日本とは違う塩分を感じました。
評判の良い店で美味しいものを食べても、塩分や脂分の違いから口に合わない人も居るのですが、そういう食文化を理解して口にすれば、感じ方も違ってくるはず。日本人には少し強めの塩加減も、ウイーンでは丁度良い加減。料理の違いだけでなく、味の好みに違いがあって、日本人の好みとは違いがある事も忘れてはならない事なのです。
最近は健康面に気を遣い、塩分も糖分も控えめになって来た傾向もみられるのですが、それでも日本より味が強めなのが特徴。その違いも楽しむつもりで、美味しさを楽しみましょう。塩分強めのウイーンらしい料理の味を恋しく思う今日この頃です。
変わらない?ウイーンの味
変わらない?ウイーンの味
子供の頃、「ウインナー」と言えば、ソーセージしか頭に浮かばなかった私。父が喫茶店で注文するという「ウインナーコーヒー」って、「カフェオレにソーセージが入っているもの」と想像していたくらいでした。日本では「ウイーン風」は「ウインナー」となりますが、ウイーンでは「ヴィナー」と発音され、数多いウイーン風の中でも「ヴィナーシュニッツェル」と呼ばれる料理は有名。仔牛の肉を薄くたたいて作るカツレツで、イタリアから伝わったとされる料理。今ではウイーンの名物料理として知られています。
このヴィナーシュニッツェルをはじめ、オーストリアの料理を美味しく食べさせてくれるお気に入りのレストランがありました。研修で滞在する事になるずっと前、大先輩から教えて頂いたお店で、ヴィナーシュニッツェルは勿論、数々のオーストリア料理を美味しく頂けるお店でした。何でも、大先輩が研修していた頃、この店のご主人に良くして頂いてたとか。休みの日や午後に時間が出来た日に通りかかると、店の奥から既に隠居されてると思われる風貌のご主人が出てこられて、色々とご馳走して下さる為に呼び入れて下さったそうです。この店の存在を教えて頂いた時には、こんな出来事は全く知りませんでしたが、教えて頂いて訪れた日から、とてもお気に入りになった店。大先輩が経験した美味しさと同じかどうか、私には知る余地がありませんが、行く度に美味しい料理を戴く事が出来ました。
ところが数年前、その店を訪れて愕然。名前も雰囲気も変わっていないのですが、料理やサービス、中身は別物・・・。ヨーロッパではよくある話ですが、店の外見はそのままでオーナーが変わり、味やサービスが全く変わっていたのです。以前よりずっと敷居が高くなり、大袈裟な程のサービスに以前のくつろげる雰囲気は全くありませんでした。ガイドブックで有名になってるお店なんかより、ずっとずっと美味しいお気に入りのお店でしたが、もうあの味を味わう事は出来ず、一期一会の重さを感じました。
ウイーン旧市街は世界遺産に登録され、街は昔からの姿を守っていますが、中身はどんどん変化しているようです。
夏のお楽しみ・ウイーンのアイスクリーム
夏のお楽しみ・ウイーンのアイスクリーム
ヨーロッパでは普通の事なのですが、アイスクリーム屋さんは冬期は休暇の為、営業していません。寒い時期は日中でも氷点下になるくらい寒いので、アイスクリームなんて売っても売れない事間違いなし。日本のように年中アイスクリームが食べられる店は珍しいのです。
私がウイーンのハイナーで研修していた時、住居はオーナーの持ち物であるアパートで、地下鉄のロイメンプラッツという駅が最寄り駅でした。この駅のすぐ側に、ティッヒーというアイスクリーム屋さんがあります。私が研修を始めた11月は勿論休業時期。そこがアイスクリーム屋さんである事すら気付いていませんでした。暖かくなり始め、日も随分長くなって来た3月下旬頃、いつものように買い物に出た帰り、もの凄い人だかりを見つけました。何かセールでもやってるの?と思えるくらいの行列の先はアイスクリームショップのカウンター。何故そんなに混んでる?と思えるくらいの行列は、その店の側を通る度に見掛けました。勿論、私も何度かその列に並びましたが。
日本人の私には少し甘さが強めに感じられる味なのですが、何故か足を運びたくなり、客足も絶えない店でしたが、結構有名であったと知ったのは帰国後数年してから。現在神戸の三宮でカフェランドルトのチーフシェフをされている八木淳司氏の講習会に参加した際、ロイメンプラッツとティッヒーの名前が上がり、アイスマリーレンクヌーデル(あんずのアイスクリームをくるんだ団子)が名物である事などをお話して頂きました。適当に過ごしていると見逃してる事って多いなぁと思い、次に訪れた時には是非食べたいと思いつつ、その後訪れた時もつい懐かしい「好みだった味」を注文してしまい、未だにクヌーデルを口にしていない私。次にウイーンに行った時には是非!と思っていますが、今の予定で次の訪問はクリスマス時期。
夏のお楽しみを楽しむには、やはり季節がネックです。
秋のもの?年中大好き栗のお菓子
秋のもの?年中大好き栗のお菓子
9月になるといよいよ「実りの秋」。色々と美味しいものが出て来ます。日本ではこの季節、栗が出回って、我が家でも栗ご飯やシロップ煮などを作り、秋の味覚を色んな形で楽しみます。この栗、オーストリアで「マローニ」とか「カスターニエン」と呼ばれ、とても好まれている素材のひとつ。日本の黄色い栗と違った茶色い栗で、天心甘栗の様なコクのある味が特徴。栗を使ったお菓子は多数あって、年中店に置かれてるお菓子もあるのですが、秋から冬に掛けてしか作られないものもあるので、この季節は楽しみでした。
年中お店で見掛けられるものに「ショコマローニ」とか「マローニヘルツ」と呼ばれる小さいお菓子があります。栗のペーストを栗の形に成形して、表面にチョコレートを掛けただけのものなのですが、シンプルであるが故に美味しいお菓子。これをお店で作る時は、ひとつひとつ栗の形に整え、細い針金に刺した状態でチョコレートを潜らせます。デリケートで扱いが難しく、ほんの少し角度を間違えたり、乱暴に扱う事で針金から外れたりして、形が崩れてしまって売り物にならなくなります。しかし、この壊れた「商品にならないお菓子」は作業場では大人気。崩れた物ばかりを集めるのですが、あっという間に同僚のお腹の中に消えて行くのが常でした。お腹に消えていくのはこれだけでなく、ケーキに切れ端など数種類ありましたが、他のものと比べてもダントツの人気だったこのお菓子。ウイーンでも栗は大人気の味なのです。
寒い季節にしか出会えない栗のお菓子もありますが、このお菓子は年中あちこちのお店で見掛けられるので、ウイーンを訪れた時は是非、カフェのショーケースで捜して見て下さい。ウイーンの美味しいコーヒーにとても良く合う、栗の美味しさに出会えます。
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種類色々・ウインナーコーヒー
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種類色々・ウインナーコーヒー
カフェが多く、文化として根付いているウイーン。
コーヒーの飲み方にも特徴があり、その特徴のあるコーヒーを他国では「ウインナーコーヒー」と呼ぶくらい。日本でもウインナーコーヒーと呼ばれている、生クリームを浮かべたコーヒーはウイーンでは「アインシュペーナー」と呼ばれるもので、数あるコーヒーの中のひとつに過ぎません。
ウイーンのカフェでコーヒーが飲みたいと思った時、好みの飲み方で注文する必要があります。
ブラックコーヒーは「シュヴァルツ」日本の喫茶店でも見掛ける小さいピッチャーにほんの少しのフレッシュを入れたものが付いてくるタイプは「ブラウナー」カフェオレより少しコーヒー味が濃いものは「メランジェ」そして、先程紹介した生クリームが浮いたものが「アインシュペーナー」など。
ブラウナーには「グロッセ(大)」と「クライネ(小)」があるので、これも決めて注文する必要があります。日本のおじ様のように「ホット」と注文して、コーヒーが出てくる事に慣れている人には面倒な話。しかし、スターバックスに慣れている若い人には案外普通の話かも知れません。
日本のコーヒーより少し濃いのが特徴なので、私はメランジュを注文する事が多かったのですが、ウイーンで暮らし始めた時は色んな店の色んなコーヒーを飲み比べたものです。
メランジュひとつ取っても、店によって配合が違うので、自分の好みに合った店を探すのも楽しみのひとつだったのです。
ウイーンのカフェ文化はトルコ軍が戦争の置き土産で残して行ったコーヒーから根付いたと言われたりしていますが、その前からコーヒーは存在したようです。しかし、庶民の間で広く定着したのはそう古くない話。トルコ説もまんざら嘘ではないかも知れません。
そのトルコの飲み方とされる「トルキッシュコーヒー」という種類(豆を煮出し、カップの底に沈むの待って、上澄みを飲むタイプ)もあるので、昔の文化を楽しむつもりで注文してみるのも面白いかも知れません。
甘いお菓子ととても合う少し濃いめのコーヒーはウイーンでの楽しみのひとつ。お気に入りのカフェ、お気に入りのコーヒーが恋しいこの頃です。
○冬支度・クリスマス準備本番
○冬支度・クリスマス準備本番
11月になると冬支度の季節…というより、すっかり冬の装いになるウイーン。
日本でも11月になるとクリスマスツリーが見掛けられる様になりますが、ドイツ語圏では11月の末から始まるアドベントに向けてクリスマス色が一気に強まります。
「アドベント」とはクリスマスから数えて4週前の期間を指し、この期間にクリスマスを迎える準備を整えるのです。
街のあちこちにはクリスマス市が出て、クリスマスに必要な飾りやろうそくなどが売られるだけでなく、プンシュと呼ばれる香辛料入りの温かいワインの店や軽食の屋台などが並び、まるで神社の縁日の様。
クリスマス市も縁日も神様に関する行事のひとつなので、似ていても不思議ではないのですが。
ウイーンで一番賑わっているクリスマス市は市庁舎前。路面電車で前を通るだけで、その賑やかさに気持ちがうきうきします。大きなツリーは勿論ですが、ヴァイナハテンピラミッドという、ろうそく立てをモチーフにした大きなオブジェもあって、まるでテーマパークの様な華やかさ。アドベントカレンダーという、クリスマスまでのカウントダウンを楽しむカレンダーがあるのですが、ここのクリスマス市では市庁舎の建物の窓をカレンダーにしている為、雰囲気が更に華やかなのです。
ろうそくやプレゼントを買い求めて集まる人、日本人が縁日を楽しむ様にぶらぶらと会場を散策する人、雰囲気を楽しむ観光客などなど。私もクリスマス関係の買い物をするより、お祭りを楽しむ感覚で出掛けていました。勿論、そこで食べられる大きなじゃがいもの丸焼きや、ホットドックなど食べ物も楽しみのひとつでしたが。人混みで疲れてしまったり、寒さで身体が凍える事もありますが、あの雰囲気とあそこで感じられる季節感が好きで、用事もないのに出掛けてしまうのです。今から旅行に出掛けられる方は、クリスマスの雰囲気を楽しめる事間違いなし。信者ではなくても、神様に感謝する気持ちでクリスマスの空気を楽しんで来て下さい。
○クリスマスの美味しいご馳走
○クリスマスの美味しいご馳走
日本でもクリスマスが近くなると、ケーキの予約をしたりパーティー用の料理を考えたり、特別なご馳走を準備する事が当たり前の様になって来ました。キリスト教徒が多いオーストリアでは、クリスマスは日本のお正月の様なもの。クリスマスを迎える為の準備(掃除や装飾)は勿論ですが、この季節だけの特
別なご馳走も用意します。
菓子店に勤務していた私が多く目にしたのは、シュトレン(パンとドライフルーツ入りのパウンドケーキの中間の様な焼き菓子)と小さいクッキー。シュトレンはアドベントに入ると毎日飛ぶように売れ、各家庭で少しずつ食されます。
今では少数派になった様ですが、昔は断食をしたり、クリスマスまで肉類を一切口にしなかったりという習慣があった為、シュトレンは大切な蛋白源だったとか。
シュトレンにコクを出す為、今では大量のバターが使われてますが、その昔はこのバターを使う事も許されず、許可を取る為に司教と菓子屋で駆け引きがあったという噂もあるお菓子です。
小さいクッキーはクリスマスに訪れるお客様をもてなす為、12月に入ると各家庭で大量に作り置きされる様なのですが、最近では共働きで忙しい主婦も多く、菓子店などで買って来る家庭も多いとか。まるで日本のお節料理の様な存在なのです。
クリスマスイブには家族揃ってご馳走を囲み、厳かにクリスマスを祝いますが、日本の様にチキンはありません。イブはあくまでも「大晦日」なので、クリスマス(25日)にならないとお肉は登場しないのです。私が働いていたお店ハイナーでは、クリスマスの2週間前、「クリスマス前の1週間はお肉が食べられなくなるから」と日頃はそんな事をしないのに、毎日みんなでソーセージをたらふく食べて、ちょっとしたランチパーティーの様な事をしていました。
しかし、それはその1週間だけで、後はいつもの様に仕事して、クリスマスに向けて仕事をこなす日々でした。日本とは違う、本当のクリスマスの過ごし方を初めて知った経験でした。
もちろん、日本の様に騒いで飲んでという、派手なパーティーもありません。あくまでも神様に感謝して、家族や大切な人と過ごす喜びを噛みしめ、祈りを捧げる日なのです。
ご馳走を沢山用意して、楽しく賑やかに過ごすのも悪くないのですが、クリスマスの本当の意味を考えて、日々に感謝しながらご馳走を戴きたいと思う様になりました。
○新年の空気・幸せの小さい贈り物
○新年の空気・幸せの小さい贈り物
オーストリアにおける「一年で大切な行事」は「復活祭」や「クリスマス」である為、新年はさほど大きな捉えられ方をしていないのが事実。
1月1日は休日なのですが、2日からは何事もなかったかの様に日常が戻ってきます。日本の様に三ヶ日が存在しないので正月気分はなく、少し気が抜けた感じで過ぎて行きますが、これもヨーロッパらしい事。
その代わり、クリスマス休暇にはしっかりと「厳粛な空気」が味わえます。
ウイーンではクリスマス市の後、大晦日にも市が出ます。新年に幸せが訪れる様に、豚の置物(グリュックスシュバイン=幸せの豚)をお正月に贈る習慣があるようで、たくさんの豚や贈り物に出来そうな小さいアクセサリーなどが売られるのです。
ドイツ語圏では豚は幸せをもたらす動物とされていて、グリュックスシュバインと呼ばれるその豚は、1ペニヒ(ドイツマルクの補助通貨)や1グロッシェン(オーストリアシリングの補助通貨)を口にくわえたり、背負ったりしている形が多く見られましたが、オイロ(ユーロ)に変わった今では1セント(オイ
ロの補助通貨)とセットの豚が登場しています。
また、置物だけでなく、マジパン(アーモンドで作った、固めのこし餡の様なペースト)で作ったものも売れ行きが良いので、年末にはハイナーでも沢山作りました。
日本でも、縁起を担いで干支の置物を買ったり、贈ったりしますが、何処か似ていると感じるのは私だけでしょうか?
お正月の過ごし方は違っても、幸せを願って購入したり贈ったりする気持ちは、世界共通の様だと感じた習慣でした。
賑やかだった市が新年を境にすっかり姿を消すので、少し寂しくもあるのですが、アドベント(11月)からお祭り気分が続いているので、この辺りが潮時なのかも知れません。
その代わりであるかどうかは判りませんが、市が落ち着いた市庁舎前には冬らしい「スケートリンク」が登場したりして、季節感を表してました。日本でもすっかり正月が明けましたが、冬本番はこれから。
春の暖かさを待ちながら、寒い季節独特の楽しみを満喫したいものです。
○謝肉祭に楽しむお菓子
○謝肉祭に楽しむお菓子
日本で2月の行事といえば節分。
最近はこの行事を大切にする家庭も減った様ですが、豆まきをする習慣があります。他にもイワシを食べたり、関西では巻き寿司を食べたり、行事に合わせた食べ物は欠かせません。
キリスト教を深く信仰するヨーロッパでは、クリスマスを始め公現祭や復活祭などキリストに関連した行事はとても大切で、その行事に欠かせない食べ物も多く存在します。
また、お菓子にも行事に欠かせないものがあり、ドイツ語圏ではクリスマスにはシュトレンを楽しみ、復活祭にも特別なパンを食べる習慣があります。シュトレンは年々日本でも見掛けられる様になって来ました。
クリスマスや復活祭ほど知られていない行事ですが、謝肉祭も大切な行事のひとつ。復活祭の前、日曜日を除く40日間(日曜日を入れると46日間)は四旬節とされ、昔はその期間に断食をしていまいた。
その四旬節(断食)に入る前の数日から一週間は謝肉祭を行い、たくさん食べたり飲んだりしてお祭り騒ぎをします。昔とは生活環境も違う現代ではその行事も形を変えつつある様ですが、この時期に必ず食べられるお菓子があります。ウイーンで「クラップフェン」と呼ばれるお菓子がそれ。日本で「あんドーナツ」と呼ばれる丸い揚げパンにとても似ているのですが、中身は餡子ではなくジャム。
マリーレン(杏)やヒンベア(木いちご)など、酸味の多いものが主流なのですが、周りには砂糖がまぶされている為、とても甘く感じたりします。このクラップフェン(ドイツではベルリーナーと呼ばれています)は大晦日にも食べる習慣があるらしく、年末から街のあちこちで見掛けられました。
朝食として食べられたりもしますが、食事と食事の間に軽い食事(お茶の時間)を楽しむ習慣があるので、この季節のお茶の時間には欠かせないお菓子。ウイーンではとても好まれていて、私も幾度となく楽しみました。
日本人には甘過ぎると感じられるかも知れませんが、これもウイーンの食文化。チャンスがあればウイーンの人々が好んで食べるこのお菓子を楽しんでみて下さい。
○ウイーン旧市街を行く・ケルントナーシュトラーセ
○ウイーン旧市街を行く・ケルントナーシュトラーセ
オーストリアの首都ウイーンは私にとって、今では故郷の様に懐かしく感じてしまう場所。
音楽の都と言われ、多くの音楽家が関わって足跡を残している事や、素敵な街並は世界の知るところです。旧市街は世界遺産に認定されていて、連日多くの観光客で賑わっています。ここで私が生活していたのは1999年から2000年の事で、もう10年も前の話。10年前ですら、初めて訪れた頃(1993年)から変化があったのですが、今では更に変化がみられて昔を知ってる身としては寂しい気分すらする程です。
旧市街は「ウイーン歴史地区」として世界遺産に指定されている様に、歴史ある建物が街のあちこちに見られます。国立オペラ座から街のシンボルシュテファン寺院まで真っ直ぐに伸びるメイン通りは「ケルントナーシュトラーセ」と呼ばれ、現在では歩行者専用の大通りになっていて、様々なお店とそれを利用する人々で賑わっています。
昔はウイーンに根付いた民族衣装の店や食器店、小物店などが多く見掛けられたのですが、時代の流れでそれらのお店にお客さんが来なくなり、昔からのお店は年々姿を消してしまい、立ち並んでいるお店の内容は随分変化してしまいました。現在ではチェーンで店舗を展開している洋服店や靴店、派手な外観の
ドラックストアなど歴史的な街にはそぐわないのでは?と思えるお店が増えてしまっていて、古き良き街並が消えつつある様に感じる程です。
この春(2010年3月)に3年ぶりにウイーンを訪問したのですが、旧市街中心の歩道は石畳を入れ替えてとても歩き易く舗装され、ベンチなども美しく新しいものに入れ替わっていました。
昔はスーツケースが真っ直ぐに進まず、それだけでも苦労が多かった事を考えると、利用し易くて弱者に優しい街に変化した事になるのですが、歴史的なあの「歩き難い石畳」がとても懐かしく恋しく思えました。
また、通りの真ん中辺りでは大規模な立て替え工事も行われていて、更に変貌を遂げそうです。
時代に合わせて近代的に生まれ変わる事は仕方のない事かも知れませんが、古き良き街並が失われてしまう様で寂しくもあります。古めかしく、変化が出来ないと言われているウイーンですが、その「古めかし
い良さ」も残して欲しいと思える程、変化を続けつつあるウイーンでした。
○ウイーン旧市街を行く・シュテファンスドーム
○ウイーン旧市街を行く・シュテファンスドーム
歴史的な街並が守られているウイーンの旧市街。
その街並も少しずつ変化しつつあるのですが、今も昔も変化がないのがウイーンのシンボル「シュテファン寺院」の改修工事です。
最も古い部分が700年前に建築されたという、ゴシック様式のこの大聖堂は昔から変わらずウイーンのシンボルとして存在し続けています。屋根瓦によって描かれているモザイク模様や、100メートルを越える高さを誇る南塔が特徴で、昔の絵画にもその姿が変わらぬ存在感で見られます。
正面の広場は人通りが多い為、自分の音楽を聴かせに来る者、パフォーマンスを見せに来る者、観光客を呼び込むコンサートのチケット売りなど様々な人が集まり、いつも賑やかな場所。
新年のカウントダウンではもの凄い人ごみで、動けなくなる程の人が集まる場所です。
シュテファンの姿は昔から変わらないのですが、第二次世界大戦争で延焼の被害を受けて大きな改修工事を行ったらしく、現在は表面全体が黒くすすけた様な外観になっています。
初めてシュテファンを見た時はその黒くどっしりとした大きな存在に感動をしたのですが、改修が終わっている部分は白っぽい色をした美しい石造り。改修工事が終われば、白く美しい本来の色を取り戻した全貌が見られると思い、それを楽しみにしていました。
しかし、その工事は終わるどころかいつ行ってもどこかしら幕が掛かってる状態。訪れる度に少しずつ場所を変えながら、いつもどこかを改修していて、私の知っている限り工事用の幕が全て取り払われた事がないのです。裏側の工事が行われている時は正面から写真を撮れば、工事をしている事など判らないのですが、ここ数年は徐々に工事箇所が正面に移動していて、今現在(2010年)では正面が写真付きの幕でスッポリと覆われて、本来の姿が隠れてしまいました。
この大きな幕を取り払った時こそ、いよいよ改修工事の終了か?と期待が膨らむのですが、いつもいつもどこかしら工事してる事に慣れてしまった今、工事中である事がシュテファンらしさであるとすら思ってしまっています。
美しい姿を期待して数年ですが、周りが変化しつつある現在、シュテファンは古いままの方が良いかもと思い始めているのでした。
○ウイーン旧市街を行く・カフェ事情その1
○ウイーン旧市街を行く・カフェ事情その1
歴史的な街並を守り、伝統を重んじるウイーンで「変わらないもののひとつ」にカフェがあります。
近年、日本で人気の気楽なカフェとは少し違い、落ち着いた店内でお茶や食事が楽しめる場所。
各々がゆっくりとした時間を過ごし、社交の場としてウイーンの街では欠かせない存在で、ウイーンらしさを感じられる場所です。旧市街の中には階級が高い人達が利用していた歴史あるカフェが多く、内装や
雰囲気は落ち着いていて高級感もあります。お茶やケーキが美味しいのはもちろんなのですが、ランチなど軽食も充分に美味しく楽しめて、さながら小さいレストランといった感じ。下手なレストランで食事するより、美味しい食事が出来たりするのです。
市庁舎の向かい、ブルグ劇場横にあるカフェラントマンはとても高級感があり食事も美味しいので、お昼から夕方までいつも込み合っている人気の店。
ランチはお得な価格の日替わりメニューがあるので、高級な雰囲気をお得な価格で楽しむ事が出来ます。
ザッハトルテで有名なホテルザッハのカフェは、それこそ高級店なので服装が気楽過ぎると入店を断られる事すらあり、気楽な服装で訪れる人の為のカフェが併設されているくらい。
ラントマンはホテルザッハのカフェほど敷居は高くありませんが、ラフな服装で訪れると気兼ねする雰囲気がある事は間違いありません。
その他、観光客で賑わうカフェツェントラルやデメルも素敵な雰囲気ですが、これらのカフェはもう少し気楽に利用出来る店。観光で初めて訪れて、カフェデビューするのに向いているかも知れません。
他にもゲルストナーやハイナーなど、王室御用達の製菓店であったのに今では街のカフェとして愛されている店や、常に新しいケーキを提案しているオーバラーなどお菓子が本当に美味しいのに、食事も満足出来る素敵なカフェがあります。
ウイーンの素敵なお菓子や美味しいコーヒーを楽しむだけでなく、食事も楽しめる素敵なカフェは昔からウイーンに根付いている、欠かせない存在で今も愛され続けています。
○ウイーン旧市街を行く・カフェ事情その2
○ウイーン旧市街を行く・カフェ事情その2
ウイーンでは日常の生活に根付いていて、欠かせない存在のカフェ。
ウイーンを訪れる度に数々の店を訪問しているせいか、今ではウイーンの象徴ですらあると思える程。
日本では見られない数々のお菓子やコーヒー、店内の雰囲気などウイーンでしか味わえないものがそこにはあるのです。
しかし最近、ウイーンのカフェも変化しつつあります。数年前、昔からある落ち着いた雰囲気のカフェに加えて、日本でも定着しつつあるスタンド式のカフェが登場したのです。
素敵なカフェが多くあるウイーンには似合わない雰囲気で、定着しないと思っていたのですが、今ではすっかり街の一部となって結構な人気。既に「気楽に利用出来るカフェ」を併設していたホテルザッハですら、新たにスタンド式のカフェをオープンさせ、連日観光客で賑わっています。
昔からあるカフェと、新たに定着しつつあるカフェの違いは、店の雰囲気と食べ物に対する重点の置き方でしょうか。お菓子から食事まで美味しくて標準以上と思えるレベルを維持している昔からのカフェと違い、新たに定着しつつあるカフェはファストフード的な感覚。しかし、日本のファストフード店よりはレベルの高いものが提供されているので、観光客にはそれで充分なのかも知れません。何より気兼ねなくサッとお茶を楽しめるのが良いのかも。
ウイーンのカフェらしい雰囲気を味わう事は出来ませんが、数年後にはこれも定番になっているかも。
昔ながらの歴史ある街並や雰囲気を守っているウイーンも、新しいものを少しずつ取り入れ、日本とはまた違うスピードで変化しつつある様子なのです。少しずつ新しいウイーンになりつつある事は、寂しくもあるのですが受け入れて行くべき事なのでしょうか。
新しいものが増えたとしても、歴史あるカフェも守り続けて欲しいと願うのでした。
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