塩
塩 SALZ (独・ザルツ) SALT(英・ソルト) SEL(仏・セル)
塩は大きく分けて海塩と岩塩がありますが岩塩も元々海の塩。製法で分けるなら、「イオン交換膜法」「再生自然塩」「自然海塩」があります。「イオン交換膜法」は海水を電気分解して造るため、塩化ナトリウム99%以上の高純度の塩で海水に含まれるミネラル分やその他の成分が無く、料理に使うにはどうなんでしょう。1kg 100円から150円位。「再生自然塩」はメキシコ、オーストラリア等の天日塩田で作られた塩を輸入して、それぞれの土地の地下水、海水で溶かし再び結晶させますが元々高純度の塩化ナトリウムの結晶塩ですが、ミネラルを加える事により自然塩に近い味となってます。赤穂の天塩、博多の塩、瀬戸のほんじお、シママース等など多数あります。1Kg 200円から350円位。「自然海塩」は国内にて海水を直接汲み上げ、 太陽・風等の自然エネルギーを使い長時間かけて蒸発させて塩を取り出し本来海水が持っているいろいろな養分(ミネラルその他)含んでいるので銘柄により味に違いがありますが料理に使う塩としてお薦めしますが高価になっていて1Kg2000円から3000円位になってます。オホーツクの塩、高知 深海の華、伊豆大島 海の精、沖縄 粟国の塩などがあります。もちろん海外からの輸入品も多数あり、オーストリアの岩塩もそのお薦めのひとつです。(サルツブルク産の塩を、是非お試し下さいませ)
塩は現在、世界中で年間約2億トンが生産され、そのうち日本では年間約130万トンを生産、約950万トンの塩が消費されていますがこれだけ消費が多いのは工業用に使われているためで決して食用ではありません、念のため。
胡椒
Pfeffer(ペッファー)独、Pepper(ペッパー)英、Poivre(ポアブル)仏
胡椒ですが、これはかなり歴史があり西洋人がアジアに目を向けたのも胡椒という香辛料ができる地域がヨーロッパにはなく、その為胡椒をめぐっての争いも数知れずあります。
胡椒はインドのマラバル地方(ケーララ州)を原産地とするコショウ科の熱帯性つる植物です。インド・サンスクリット語の「ピッパリーPippeli」に由来した名前が今日のPepperの語源になっています。これは今から2500年前から知られていました。この胡椒は、ほどなくアーリア人を経てヨーロッパに持ち込まれ、古代ギリシャなどで頻繁に使用されるようになったのですが初めは医薬品として扱われ、婦人病の薬として利用されていましたが、程なくこの香りが食用に向くと考えられたようです。
胡椒はつる植物ですが、大きなものは5m~10m位になるそうで、花は小さい房状で、枝の先に無数の丸い実をつけ、「長胡椒(ロングペッパー)」が出来ます。この実が食用になるのですが、皆さんは胡椒というと粒状の状態を思い浮かべるでしょうが、昔はこの「長胡椒(ロングペッパー)」状態で使われていました。(トウモロコシ状態を思い浮かべてください)粒状の実は12世紀ごろにヨーロッパへ持ち込まれ、14世紀ごろに従来の長いタイプに取って代わったということです。
胡椒は黒胡椒(ブラックペッパー)、白胡椒(ホワイトペッパー)、緑胡椒(グリーンペッパー)、赤胡椒(ピンクペッパー)などの種類に分けられますが、熟していない緑色の実が緑胡椒(グリーンペッパー)になり、これは塩漬けにしたり、乾燥機を使って短時間に乾燥させて作ります。このグリーンペッパーを果皮ごと天日に乾すと黒胡椒となります。胡椒の実が熟すと赤い実になりますがこれを水につけて皮を取り除き、実だけを乾燥させたのが白胡椒です。熟した実(白胡椒)ですから香り高く、淡白な魚料理に優雅な香りを付けるのでしょう。未熟な実で作る黒胡椒は荒々しく、獣肉などの食材に適しているのかもしれませんね。
赤胡椒(ピンクペッパー)は三種類あります。熟した胡椒の赤い実をそのまま塩漬けにしたもの。胡椒ではありませんが、こしょうぼくの熟した果実や、西洋ななかまどの果実をピンクペッパーと称して売られている商品が多いですね。
こしょうぼくの実はメキシコでは果実は飲み物に用い、種子をコーヒーの混ぜ物に使っているようです。西洋ななかまどの実は酸味があり、適度な渋味と苦味をもつことから、スカンジナビア料理では鹿肉料理などに使われているようです。何だ、このピンクペッパーは偽物なのかと決め付けず色々な食材に試してみると、新しい発見があるかもしれません。
ヨーロッパとアジアの中心となるオーストリアはさぞ色々な食材が入ってきた事でしょう、さらに十字軍(11―13世紀)の遠征もあり、ヨーロッパ人の食に対する嗜好をオーストリアは、少しは担ってきたのかもしれませんね。
日本でも胡椒は古くから知られており、奈良時代には遣唐使を通じて伝わり、正倉院の宝物の中にも胡椒があったことが判っています。日本語の胡椒の胡はシルクロードを伝わってきたという意味、胡のつくものには、胡桃、胡瓜、胡麻などがありますが大蒜(にんにく)も葫蒜と書いてやはりシルクロードを伝わってきた食品です。
料理にペッパーミルで味付けして、Mahlzeit(マールツァイ・食事時の挨拶)
砂糖
Zucker(ツッカー)独、sugar(シュガー)英、sucre(シュークル)仏
これも料理の調味料としてなくてはならないものですね。
特にお菓子作りにこれ無くしては作ることも出来ません。(誰ですか?蜂蜜があるじゃないか、と言う人は・・・。次回にしましょう)
砂糖が作られたのは紀元前2000年前のインドと言われています。その原料となるサトウキビの原産地は南太平洋の島々で、東南アジアを経てインドに伝わったとされています。英語のSugarは、サンスクリット語のSarkara(砂粒)を語源とするとされており、アレキサンダー大王は、「蜂の力をかりずに葦から取れる蜜がある」と聞いてインド遠征に行き、知ることになります。そしてアラビア人によって西はペルシャやエジプトへ、東は中国へと伝わったようです。
日本は今から約1200年前の奈良時代、中国の僧、鑑真によって伝えられたという説があります。琉球や薩摩の製糖技術が全国に伝播して、享保年間以後各地で製糖業が始まりました。四国の和三盆糖などは日本独自の製糖技術で西洋の砂糖とは一線を画しています。
ヨーロッパへは、11世紀の終わりから13世紀にかけて十字軍が持ち帰りましたが最初は高価な薬として扱われました。サトウキビは温暖な気候でないと育ちませんからヨーロッパでは作る事が難しいようですね。そのためアラブの商人はかなりの財を成したようです。1747年、ドイツの化学者がてん菜(さとうだいこん、ビート)から砂糖と同じ成分をとりだすことに成功し、庶民もようやく安価に購入することが出来たのです。この出来事は学生時代に勉強しましたね、思い出してください。
「蜂の力をかりずに葦から取れる蜜がある」別の記録には、「インドにはかむと砕ける甘い石がある」とも書かれています。当時の製糖技術は未熟で精製した砂糖は「サラサラ」ではなく、岩みたいに硬い状態だったようです。30年程前の「新疆ウイルグ自治区」で岩みたいな砂糖を小槌で割って茶に入れて飲んでいる映像を見ましたが昔の製糖技術はこのようなものだったらしいですね。
また、少し前まで「コーヒーの取っ手」が左側にあったのも溶けにくい砂糖を左手でカップを押さえ、右手でスプーンをかき回した名残です。溶けやすい砂糖になった今はもちろん「取っ手」は右側に戻りました。
砂糖はサトウキビ(砂糖生産の6割)とテンサイ(砂糖生産の4割)そしてサトウカエデ(メープルシュガー)があります。
精製度による分類にすると以下の四点
上白糖、中白糖、三温糖、黒砂糖、特に日本の「上白糖使用量」は多い。
結晶の大きさによる分類は以下の五点
グラニュー糖、白ざら糖、氷砂糖、粉砂糖、顆粒状糖
その他の砂糖には
中ざら糖、和三盆があります。
ダイエットの敵、「砂糖」ですが人間には「糖」も大事な栄養素、ただ嫌うのではなく上手に付き合うことが大切です。
STRUM シュトゥルム
STRUM シュトゥルム
シュトゥルムとはワインになる前のまだ醗酵途中のワインなのですがこのワインを飲んだことのある人は少ないのではないでしょうか。
ワインを造るためにはまず、ブドウを搾ってブドウジュースを作ります。オーストリアではトラウベンサフトと言って収穫時期には透明なジュースよりもMOST(モスト)といわれる半濁したブドウジュースが出回ります。これを4週間近く寝かせておくと醗酵してきます。ですがまだまだワインにはなっていません、ジュースとワインの中間くらいで甘いんだけどお酒というSTRUM(シュトゥルム)が出来上がります。シュトゥルムとは、嵐という意味。甘いため、ついつい飲みすぎてフラフラになり頭の中が嵐のようにフラフラになってしまう状態になるのでそのように名付けられたと35年前にウィーンの友人からシュトゥルムを沢山、飲まされた後聞きました。(確かにそうでした)
今までは白のシュトゥルムしか知りませんでしたが今回は白・赤・ロゼのシュトゥルムを並べて飲み比べてきました。オーストリアではワインは豪快に飲みます。このシュトゥルムも大きなマグカップにたっぷりと入っていて飲み比べているうちに、もうどうでもよくなり、どれもおいしく感じてしまったのは酔ってしまったせいでしょうか。今回は2週間滞在したため、初めの頃よりも少しずつワインに近づいていく味わいを堪能したのは幸せでしたね。
私の友人からの情報。Schilcher WeinのSTRUM(シュトゥルム)が最高ということでした。来年この時期に出かける方、是非お試しください。1~2ヶ月するとHeurige(ホイリゲ)でもって新酒ワインとして飲むことができます。今日は11月1日、今ごろは新酒ワインが沢山飲まれているのかと思うと、また行きたくなってきました・・・・・・。
ビュシュ・ド・ノエル
ビュシュ・ド・ノエル
ウィーンのクリスマスケーキといえばシュトレンです。でも日本ではまだクリスマスといえばビュシュ・ド・ノエルが幅を利かせているようです。
更に昔のクリスマスケーキといえばイチゴのショートケーキが代表的でしたね。それも、バタークリームたっぷりの・・・・・。
今回はフランス菓子のクリスマスケーキですがオーストリアもヨーロッパ大陸の一部として他国の文化の影響を受けているので、このケーキにもこんな背景があるのかとお聞きください。少し長文になりますが我慢してください。
いつ頃からこのビュシュドノエルが日本に根付いたのかは定かではありませんが初めは丸いクリスマスケーキから丸太型になったビュシュドノエルが新物好きな日本人に受けたのかも知れませんがそれが真実かどうかは、私にはわかりません。
遥か太古の昔にさかのぼり『火』というものを知らない人類の祖先は毎日訪れる闇の世界に恐れおののいたことと思います。皆さんの中にも森の奥深いところでキャンプファイヤーを経験した人もいるかと思いますが、暗闇から聞こえる獣の唸り声で怖い経験をしたことがありますか?我々のご先祖様はもっと怖い経験をしたのかもしれません。そして『火』を獲得した人類は、それこそ初めで街灯を見たイギリス人のように欣喜雀躍したことでしょう。この『火』でもって闇の中の人類の敵、猛獣・野獣から身を守ることができたのです。
人は想像から妄想へと変化するのでしょうか、暗闇の唸り声が得も知れぬ想像へとかきたて悪魔・悪霊を生んだのです。この悪魔・悪霊から身を守るため団結(個体から集合体へ)し身を守る祈りが生まれ宗教へと発展したのかもしれません。
今でもハロウィンでは悪霊を払うために、大きな焚き火をして悪霊払いをします。その消し炭を持ち帰り、家内安全のお守りにしているのです。この焚き木もすぐに燃え尽きないようにオリーブ、胡桃、りんご、プラム、などの果物のなる木であることで、硬く、何日もゆっくりと燃え続ける木が善しとされてます。果物の木は食料としても大事でしたが『実が沢山なる=子宝に恵まれる』という縁起担ぎも含まれています。
このような理由でヨーロッパでは消し炭は縁起物のひとつなのです。その消し炭を作る薪もクリスマスには無くてはならないアイテムだったのでしょうね。焚き火は最近、防火の為か、とんと見かけなくなってきましたが焚き火をされた方は判るかと思いますが焚き木が大きな音を出して爆ぜることがよくありますが、びっくりしますよね。これが太古の昔ではこの音で悪霊が追い払われると信じられていました。そりゃそうですよね、人狩りをしようと狙っていた猛獣がいきなり大きな音がすれば動物だって暗闇は怖いのです、逃げ出しますよね。この音がヒントで19世紀のパリの万国博覧会でクラッカーが発明されました。これもクリスマスには無くてはならないアイテム。
閑話休題。
このビュシュドノエルに飾られている葉っぱは新生を表し、『きのこ』は子宝を表しています。昔の人は何も無いところから無数に生えてくる『きのこ』が不思議でなりませんでした、こんなに沢山の子供が生まれるのは『きのこ』を食べると子宝に恵まれると考えたのでしょうね。子孫繁栄の象徴が『きのこ』だったのです。
このようなことでビュシュドノエルはフランスでは欠かせないクリスマスケーキとして今でも作りつづけられているのです。オーストリアにもこのような、迷信じみた話があるかも知れません、クリストシュトレンにしてもそうかもしれませんね、今後、新事実がわかったら、必ずこの場で発表していきましょう。
栗
独Kastanie(カスタニエ)仏Marron(マロン)英Chestnut(チェストナッツ)
今のウィーンは厚手のコートを着、首をすくめて歩く寒い日が続いています。そんな冬の風景に焼き栗屋があり、かじかんだ手で小銭を出して買う焼き栗が寒さの中でほっとさせられる瞬間です。秋から春にかけての風物詩で、この時期ヨーロッパで過ごした方には懐かしい思い出が蘇るのではないでしょうか。この栗の実、大きく三つに分けられます。それは、私たち日本人がよく知る『和栗』、中国の天津甘栗で有名な『中国栗』、そしてマロングラッセで有名な『洋栗』です。
最近の日本の洋菓子界では『和栗』のモンブランがよく出ているようです。ウィーンの菓子ではKastanienpfannkuchen(栗のパンケーキ)やKastanienkreme(栗のクリーム)などがありますが日本のようにバリエーションが沢山あったとは記憶していません。私の好きだった栗の『パラチンケン』があり、それには大量の栗のクリームが入っており十分に満足した覚えがありました。
そんな栗のそっくりさんにマロニエの木があります。先日のウィーン研修の際にウィーン郊外のバーデンで栗が沢山落ちていると思って拾ったのですが殻が少し違い栗ではなくマロニエの実でした。ウィーンの市内にも沢山落ちておりつい拾い上げてしまうのは私だけでしょうか。
このマロニエの実はトチの木の実で、今ではあまり食用とはしていません。
・・・・ということは、昔は食用としていたんですね。日本では団子(餅)や麺などにしますが古代ではこの栃の実を煮て食べていたそうです。アクが強いので、よくさらさないといけなく、手間隙がかかる為、今ではあまり作られていないようです。この栃の木は栃木県の県木で地名の由来になった木です。
ドイツ語で栗の実はKastanie(カスタニエ)で食べられますが、栃の実もKastanie(カスタニエ)といってこちらは食べられません。なんと、ややこしいのでしょうね。
ややこしいついでにもう一つ、フランス菓子の『マロングラッセ』はもちろんマロンから作ったお菓子ですが、昔はこの栃の実であるマロニエから作ったそうです。ほんとややこしいですね。
ではもう一つ。中国の天津には栗の木がありません。天津甘栗は嘘?いいえ、中国の天津は中国中から集めた栗の集積地なのです。そこから輸入した日本は天津から来た栗ということで『天津甘栗』の商標が使われています。
蜂蜜
独Honig(ホニック)仏Miel(ミール)英Honey(ハニー)
砂糖が発見されるまで人類の甘味料は長いこと「蜂蜜」が賄っていました。花の蜜や果物の甘味はそれなりにあったのでしょうが、果物といっても大きく甘い果物は現代の栽培技術で得られたもので太古の昔には少なかったようです。
今回は「蜂蜜」原料の話でなく「蜂蜜」にまつわる話です。
新婚旅行のことを「ハネムーン」といいますがこれは英語のHoney Moon=蜜月のことです。この慣わしも「蜂蜜」からきた言葉で太古の人類が「蜂蜜」にかけた人類の願いがこもっています。
これはもともと、結婚後、1ヵ月のことを指した事なんですね。何で蜂蜜の月なんでしょうね。この由来は、古代スカンジナビア人が結婚すると、その後1ヵ月間は蜂蜜から作ったお酒「蜂蜜酒」(ミードワイン)を飲み続けて、子作りに励んだ事からなのです。昔は、蜂蜜から作られたお酒は「精力剤」として飲まれていたのです。疲れた体に甘いものを取ると疲れが取れることは、皆さんもご存じですよね。これにアルコールが加わるわけですから、元気百倍になり「精力剤」として飲まれるのもうなずける訳ですね。
北欧ばかりでなく、イギリスにも同じような話があります。やはり、精力増強の効き目、結婚式の後の満月に、新郎と新婦はこの蜂蜜酒を飲むという風習があります。アイルランドでは、新郎と新婦は結婚式の後、蜂蜜酒を飲んでから新婚旅行に出かけるとあります。
また、ゲルマンの習慣は、婚礼から1ヶ月の間、新婚夫婦とその親族が蜂蜜酒を飲み続けるとあり、この1ヶ月の事を太陰暦で、女性の月経周期の事をいい、花婿が月経中に花嫁と交わることは、生命の営みにふれることでもあったのです。どこの国も同じような意味ですね。
病気や怪我、また戦争(闘争)などで命を亡くしたりする人々。赤ん坊が生まれてもなかなか育ちにくい太古の世界。一人でも多くの子孫を残そうと昔の人々は頑張ったんですね。医療技術の進んだ21世紀では赤ちゃんの死亡率は下がりましたが、丈夫な子供をつくり、育てようというのは、神聖な営みであり親の願いでもあったのですね。
この蜂蜜酒、意外とふる~いお酒なんですよ。なんと、ワインやビールよりも古いと言われています。
ワインもいつ頃から飲まれているか分からないのに、更に古いなんて、誰が、どうやって調べたんでしょうね。不思議ですよね~~。
実は、この蜂蜜酒はワイン同様、簡単に醗酵してお酒になってしまうんですよ。人類最古の酒と言われているだけあって簡単に造る事ができます。自然のままの蜂蜜には酵母菌がふくまれているのですが、糖度が高いのでそのままでは発酵はしません。しかしそれを水で薄めることで、簡単に発酵をはじめてしまうんですね。重量比で蜂蜜と水を1対3程度にあわせ、イーストをいれて混ぜ合わせ、半月ほどおいておけば発酵してお酒になってしまうんですね~。しかし日本では明治の頃に作られた酒税法というのがあって、お酒を作ってはいけないんですね。残念。
からし
独Senf(ゼンフ)仏Moutarde(ムタルド)英Mustard(マスタード)
オーストリア・ドイツばかりでなくフランス、イギリス、イタリアなど世界各地で使われている香辛料です。原産地は地中海沿岸、マスタードの歴史は古く紀元前から使われていていました。ギリシャの数学者ピタゴラス(紀元前約530年)は、マスタードはサソリによる刺傷に中和剤として使えると記述してます。
香辛料が馬鹿高く庶民が使えない中世でもマスタードだけは唯一使えた香辛料で料理に使われるほか医者が歯痛、関節痛、皮膚病、または湿布薬として使われ、庶民の味方でした。そして塩漬け、砂糖漬け薫煙が食品の保存方法としてよく知られていますが、マスタードが保存性に優れているということをご存知でない方も多いと思います。マスタードそのものだけでしたら100年以上腐りません。日本でよく使われている「からし」は刺激が強く辛子漬けという漬物も多く、熊本の辛子レンコンは有名ですね。それに比べヨーロッパの「からし」は辛味より酸味が強く刺激は弱いように思います。
今ではフランス産の「ディジョン産マスタード」や「ボルドー産マスタード(粒状)」が沢山出回っていますのでご存知の方も多いでしょう。マスタードといえばソーセージと思いつきますが、利用方法は沢山あります、ドレッシングやマリネなどに使われる事が多いですね。
学名=Sinapis alba。由来はシナイ山(モーゼが十戒を説いた山といわれている)の精という意味でそれほど古いスパイスです。
ドイツ語のSenfは辛子の辛味を作るのに種子をすり潰すことにより辛味成分が出きることから、senge(平手打ちする)という意味からついた名前です。英語のマスタード(Mustard)は、ラテン語の「ムスタム アーデンス」(Mustum ardens)から派生したものです。ラテン語でブドウの搾汁液をムスト(Must)と呼んでいました。ローマ時代、未発酵のワインであるブドウ搾汁液ムストに、当時シナピス(Sinapis)と呼ばれていたからし種子を粉に挽いたものが使われてました。これを「Mustum ardens」(燃えるマスト)と呼んでいて、これが「マスタード」(Mustard)の語源になりました。料理としては、マスタードを前面に出して使う料理は少なく、サラダやサンドウィッチ、肉のローストなど脇役に徹したスパイスですが、このマスタードが欠けただけで味の締まりが無くなり、気の抜けた料理になることもありますね。
あなたはマスタード(Senf)を使った料理を幾つ思い浮かべられますか。
ジャガイモ
独Kartoffel(カルトッフェル)仏Pomme de terre(ポム・ドゥ・テール)英Potato(ポテト)
ドイツ語圏の主食(?)といったらジャガイモ、と思い浮かべるのは私だけでしょうか。そんな事はないでしょうが、肉や魚など沢山あります。ですがジャガイモの消費が多いのも確かのようです。
ジャガイモの原産地はご存知のように南米です。チチカカ湖南岸にあるティアワナコの遺跡(AD500年)から発掘された土器にジャガイモの絵が描かれていたことからチチカカ湖周辺と推定されているようです。この地からペルーやチリ、メキシコに広がり、インカ帝国では重要な食料となったようです。
コロンブスが新大陸到着以降、沢山のヨーロッパ人がアメリカに渡りいろいろな食物を持ち帰りましたが、ジャガイモはメキシコ・ペルーを征服したスペイン人によりヨーロッパに伝えられました。ジャガイモのおかげで飢饉の時に救われた世界の人々がいたことは学生時代に習ったことですが、覚えておいででしょうか。日本でも江戸時代、飢饉の時にジャガイモで救われた記録が残っています。
和・洋・中の料理の食材として今では欠かせませんが製菓の食材としても使われています。
皆さんのよくご存知のジャガイモですが最近ジャガイモの芽をご覧になった方はいらっしゃいますか?
ジャガイモの芽は「ソラニン」という神経系の毒素があることはご存知の方も多いはず。そのため、今のジャガイモはジャガイモの芽が出てこないように、放射線を当て、被曝させてあります。こわいですね~~。昔、このことが新聞で騒がれましたがいつの間にか忘れ去られたようです。一応、微弱な放射線ということで健康には害がないということですが・・・・。今は遺伝子組み替え食品が騒がれていますが、日本人はすぐに忘れてしまうんでしょうね。
日本で栽培されているジャガイモの品種です。
【男爵薯(だんしゃくいも)】
川田龍吉男爵がイギリスから輸入したことからこの名がついた。
【メークイン】
イギリスで栽培されていたMayQueenが原種、大正6年にアメリカから輸入。
【キタアカリ】
男爵芋の系統に属する品種で、昭和62年に新しく開発。コロッケやポテトサラダに向いている、「栗じゃが」とか「黄金男爵」とも呼ばれている。
【コナフブキ】
でんぷんを取り出すために育成されている品種。
【トヨシロ】
油加工で変色しにくい特徴がありポテトチップ加工用として生産されている。
【紅 丸(べにまる)】
ほとんどでんぷん原料用、戦後の食料難のとき陰で支えてきたジャガイモ。
【インカのめざめ】
舌触りが滑らかで風味が「栗」や「さつまいも」に似ていることから、製菓の材料などとしても使われている。
【ホッカイコガネ】
油加工しても変色しにくいことからフレンチフライ用に使われています。
【とうや】
フライ系の調理には向いていませんが煮物には向いています。
【ムサマル】
ほとんどはでんぷん加工用にされている。
【マチルダ】
スウェーデンで開発された珍しい品種、ベークドポテトなどに加工される。
【ベニアカリ】
煮崩れしやすいので、マッシュポテトやコロッケに向いている。
【十勝こがね】
食味も良く、油加工による変色も少なく加工し易い品種。
【デジマ】
煮物から揚げ物まで用途が広い品種。
【アンデス赤】
ポテトチップ用。別名「レッドアンデス」
あなたはいくつご存知でしたか。
酢
独Essig(エッシーク)仏Vinaigre(ヴィネーグル)英Vinegar(ヴィネガー)
この『酢』も『マスタード』同様、古くから人類が使用してきた調味料です。調味料で一番古いのはもちろん『塩』ですが、『酢』もかなり古く文献上では紀元前5000年頃のバビロニアですでに記録に残っているそうです。日本はと言うと、応神天皇(執政時期270年~310年)の時代に中国から伝わっています。
日本での『酢』の規格はJAS法(農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律)によれば、呼称は食酢(しょくす)で酢酸を3~5%程度含み、その他に乳酸、コハク酸、リンゴ酸などの有機酸類やアミノ酸、エステル類、アルコール類などを含み。製造法により、醸造酢(じょうぞうす)、合成酢(ごうせいす)に分類されるそうです。内容を見ると体によさそうな成分が多いので現代では、健康維持のため『酢』を摂取することを進められていますが、古代でもギリシャの医学者ヒポクラテスは、お酢の効能に注目し、呼吸器病や皮膚病の治療にお酢を用い、回復期の患者には酢卵を飲ませていたといわれています。また、中国、周の時代には漢方薬として使用されていました。このように、古代よりお酢は調味料としてのみでなく、体によいものとして取り入れられていた歴史もあり驚かされまね。
ワインを開けて長時間放置しておくと、少し酸っぱくなるのですが、これは『酢』が醸造酒から作られているからなのです。フランス語で酢はvinaigreと呼ばれ、これはvin(ワイン)とaigre(酸っぱい)を組み合わせて作られた語ですが、この言葉を見ても分かります。もちろん日本の『米酢』も『日本酒』から造られているのはご存知の通りです。
『酢』の歴史は人類の歴史でもあるのです。ヨーロッパで醸造酒と言えばワインですからオーストリアの『酢』もワインから造られています、ですが古代バビロニアでは干しぶどうやナツメヤシから酢を造っていたと、文献に残っています。
『酢』の使い方もいろいろと有ますが『ピクルス』などが代表でしょうか、しかし日本では『サワークラウト』のことを『酢漬けキャベツ』と誤訳され、『酢』を入れて造るものと信じている方がいますがこれは間違いです。これは切ったキャベツに塩を加え、醗酵させたものです。日本の『古漬け』を創造していただければお分かりでしょう。また、『酢』を飲むと身体が柔らかくなると信じられていた時代もありましたね。しかし、酢に多く含まれる酢酸の作用によって筋肉中の乳酸の分解が促進され、凝りをほぐす作用が期待できるのでこれが誤って体が柔らかくなると誤解されたのかもしれません。
★和風ドレッシングがスイスで評判
お酢の話でもう一つ。
お酢を使う代表料理がドレッシング。お隣の国スイスでの話ですが、和風ドレッシングがいま、スイスで売れているそうです。これは日本人コックのアイディアを受け継ぎ、ロンニャ・サカタさん(27歳)がこれに手を加えて販売しているそうですが、スイス人の味覚にぴったりと合い、評判だそうです。その名も、「KABUKI サラダ・ドレッシング」日本人が聞いたら少し恥ずかしい名前ですが、スイス人には日本というインパクトのある名前なんでしょう。このドレッシングには「白ゴマ」「黒ゴマ」「わさび味」と3種類のサラダドレッシングあるそうです。このドレッシング、二年前に発売されたのですがウィーンでも売っているのでしょうか、今度「ユリウスマインル」でも覗いてきましょう。
トマト
独Tomaten(トマーテン)仏Tomate(トマーテ)英Tomato(トメート)トマトの和名=赤茄子、蕃茄、小金瓜
日本名がいろいろあるように各国でもいろいろな別名があります。ドイツ語でParadies-apfel(天国のリンゴ)と言います。オーストリアでは簡単にparadeiser(パラダイサー)といい、フランスではPomme d'amour(ポム・ダムール、愛のリンゴ)イギリスはLove apple(ラブ・アップル、愛のリンゴ)といいます。トマトといえばイタリアを思い浮かべますがイタリア語ではPomodoro(黄金のリンゴ)といいます。ヨーロッパでは○○リンゴと名がつくのはアダムとイヴの旧約聖書に由来するのでしょうか?特別な言い回しですね。
このトマト(学名Solanum lycopersicum)は、ナス科ナス属の植物で、一年生植物。原産地は南アメリカ大陸のペルーやエクアドルなどを中心としたアンデス山脈周辺の高原地帯であると考えられています。このトマトをヨーロッパに持ち込んだのが、かの悪名高きスペイン人、エルナン・コルテス(Hernan Cortes, 1485年~1547年12月2日)です。1519年にメキシコに上陸したエルナン・コルテスがその種を持ち帰ったのが始まりであるとされていますが、初めの頃は毒植物であるベラドンナに似ていたため、毒であると信じる人も多く最初は観賞用とされ誰も食用にしようとは思わなかったようです。今のトマトと違い、原種のトマトは今のプチトマトに近い形をしていたと想像して見てください、確かに食べてみようとは誰も思わなかったんでしょうね。でも1820年、アメリカのニュージャージー州のロバート・ギボン・ジョンソンは、町の裁判所前の階段でトマトを食べて人々に毒がないことを証明したが、詳しい資料は残っていないということです。でもこの話は中学校の英語の教科書に載っており、授業で勉強したことを思い出しました。
日本には江戸時代の寛文年間頃に長崎に伝わったのが最初だそうです。青臭く、また真っ赤な色が敬遠され、当時は観賞用で「唐柿」と呼ばれていたのはヨーロッパと似ていますね。
日本のトマトの8割がピンク系トマトで生食が人気だそうで、完熟した赤系トマトはもっぱら加工用にされています。イタリア人に聞いた話ですが生食用(サラダ)と調理用のトマトの見分け方を知っていますか?水の中に入れて浮かんできたのがサラダ用、身のしっかり詰まった美味しいトマトは重いので沈みますので、ソースにまわします。こんな分別法を知っているイタリア人はさすがにトマト大国かと思ったら、生産量の第一位は中国で、次にアメリカでイタリアが3位なのです。消費量ではギリシャが1年間に国民一人あたり140kgの消費だそうです。一日あたり何と380g、すごい量ですね。生のトマトで大2個分だそうです。日本はというと年間9kg弱で生のトマト換算ではプチトマト1.5個分だそうです。ちなみにイタリアでは一人あたり年間75kgで大1個分のトマト換算になります。
そしてトマトは米国で最初に認可を受けた遺伝子組み換え作物なのです、こわいですね~~。
生活習慣病の予防につながるとして知られている「リコピン」は赤系品種の熟したトマトに多く含まれます、水に沈む、真っ赤なトマトを沢山食べましょう。
あんず(杏)アプリコット
独Aprikose(アプリコーゼ)オーストリアMarille(マリーレ)仏Abricot(アブリコー)英Apricot(アプリコット)
原産地は中国北部、中央アジア、ヒマラヤ西北部といわれている。西暦前1世紀頃、中央アジア、小アジアを陸路で地中海沿岸に伝わる。中国では2000年も前から種の中の「杏仁(きょうにん)」を収穫するために栽培されていたようです。日本では「杏仁と書いて(アンニン)」と呼ぶ事(杏仁豆腐)が多いいようですね。中国では杏仁とはアンズの核でそのまま食べるよりも主に漢方薬として利用されています。また、アンズの林の事を杏林といい、医者の尊称の事です。ヨーロッパには古くから伝わりましたがアメリカは18世紀頃渡ったとされています。日本に渡来した時期は定かでは無いですが、平安時代の書物に「カラモモ」という和名で登場しているのでこの頃と思われています。但し、中国と同じように杏仁の収穫が目的でフルーツとして食すようになったのは明治時代になってからでヨーロッパ品種が入ってきた大正時代に一般に出回ったようです。
ウィーン菓子でもアプリコットジャムの使用は多いです。日本でジャムというとイチゴジャムですがウィーンではジャムといえばアプリコットでしょうか、ザッハーなど、ケーキに塗るジャムはアプリコットジャムを塗る事が多いようです。
初夏になるとアプリコットの時期になり、菓子にもふんだんに生のアプリコットが使われるようになり、クーヘンや団子状のクヌーデルなどになって楽しませてくれます。そうそう、オーストリアや南チロル地方ではアンズのことマリーレといい、MarillenknoedelマリーレンクヌーデルやMarillenkuchenマリーレンクーヘンと言います。
朗報
アンズはβカロチンの含有量が非常に多いので干しアンズであれば含有量(5000mcg)になります。βカロチンは体内でビタミンAとして働き、老化防止(アンチエイジング)や視力の保持、強い抗酸化作用により脳卒中や心筋梗塞にも効果があるといわれています。同じく高血圧予防に役立つとされるカリウムも多く含みます。アンズにはリンゴ酸やクエン酸も多く含まれ、疲労回復にも効果や、血行をよくするので冷え性にも効くといわれています。
あんずの種の中の白い仁は杏仁と呼ばれ、古くから薬用に用いられてきました。これを使った杏仁水などには、風邪の予防や下痢、咳、痰、胸痛、浮腫などに効く効能があるといわれます。
注意
杏仁には毒性があるため、専門家の指導を受けずに杏仁を食べたりしないでください。でもアンズの実は上記の通り幾ら食べても大丈夫ですが食べすぎはほどほどに。
マーマレード
独Marmelade(マルメラード)仏Marmelade(マルムラード)英Marmalade(マーマレード)
マーマレードとは何ですか?というと、オレンジの皮で作ったジャムと答えることが多いようですが、Marmalade(マーマレード)はバラ科の植物マルメロの果実を砂糖と煮込んだもので、この果実は洋ナシ形で甘酸っぱく香りが高いが、果肉が硬いので生食には適しません。ギリシャ語で「蜜のようなリンゴ」が語源でラテン語のマルメロMarmeloになりました。そしてポルトガル語のmarmelada(マルメラーダ)がフランス語のMarmelade(マルムラード)になり1480年に英語のMarmalade(マーマレード)になります。
日本へは1620年代にマルメロの果実が長崎に渡来していて、麻留米留(マルメル)といわれた。日本ではマーマレードについていろいろな説が流布されていますが、マルメロから作ったのでマーマレードという言葉が出来たのです。日本の農林水産省のジャム類品質表示基準によるとジャム類とはジャム、マーマレード、ゼリー、プレザーブスジャムと分かれるようですがオーストリア、ドイツ、フランスなどではマーマレードとはジャムの事です。日本ではなんでも事細かに分類するものですね。
でも、ここは日本ですからマーマレードと言ったら、柑橘系の果皮で作ったものでいいですね???
マルメロ原産地=イラン・トルキスタン地方
マルメロは、イラン、トルキスタン地方原産のバラ科の落葉小高木で、樹高は3~8m程度という。現在では長野県で多く栽培されており、長野ではこれをカリンというという。 しかし、かりんとマルメロは違う植物です。
《マルメロ》
・薔薇(ばら)科。
・学名 Cydonia oblonga
Cydonia : マルメロ属
oblonga : 長楕円形の
Cydonia(シドニア)は、
地中海のクレタ島(ギリシャ)にある
「Cydon 市」の名にちなむ。
《かりん》
・薔薇(ばら)科。
・学名 Chaenomeles sinensis
Chaenomeles : ボケ属
sinensis : 中国の
Chaenomeles(カエノメレス)は ギリシャ語の
「chaino(開ける)+ melon(リンゴ)」が
語源で、"裂けたリンゴ"の意味
バニラ
独Vanille(バニーレ)仏Vanille(バニーユ)英Vanilla(バニラ)
バニラはラン科に属する植物で、さやえんどう状をしています。そして日本人がとてもよく知っている香料のひとつです。
バニラの最初の耕作者は、メキシコのトトナカ族だといわれています。14世紀、コルテス率いるスペインの征服者たちは、チョコレートと共にヨーロッパに伝えました。今では赤道からの緯度南北20度の範囲にある世界中の熱帯地域で栽培さいれており、インドネシア、パプアニューギニア、オーストラリア、タヒチ、フィリピン、フィジー、トンガ、中国などが主な生産地です。
バニラビーンズは、収穫されたばかりのものには香りがありません。成熟前につんで、醗酵・乾燥をさせ、バニラビーンズ特有のあの甘い香りが生まれるのです。その芳香成分はバニリン、ワニリンと呼ばれるものです。
バニラビーンズの見分け方
■ ちゃんと乾燥されているか?
指でさや全体をさわってみてしっかりとした感じがあるか。
また乾燥度の足りないものは、痛みやすく香りも乏しく、グレードが低いです。
■大きさは何センチくらいがいいのか?
グレードの高いバニラビーンズと言われているのは、14cm~の長さがあります。一般的に使いやすい長さは14~18cmくらいの物です。
■香りで分るのか?
バニラビーンズの香りをかぐ時は鼻先まで持って行ってすぐに離して確かめます。鼻先でバニラをかぎ過ぎると甘い香りよりも、スモーキーな香りが勝ってしまい正確に判断できません。
■色では判断できるのか?
黒に近いチョコレートブラウンのバニラビーンズがおすすめです。
以上のことを踏まえてお使いください。ケーキに香料(バニラ)はあくまでも脇役ですが、そのケーキが生きるのも死ぬのも脇役次第というのはお分かりですよね。使いすぎにはご用心ご用心。
カマンベールチーズ
独・仏・英Camembert(カマンベール)
独Käse(ケーゼ)仏Fromage(フロマージュ)英Cheese(チーズ)
カマンベールチーズがいつ発明されたかというと、1790年頃、フランス革命で逃れた僧がノルマンディの農家に身を隠し、ブリ・チーズの製法を伝えたことから始まります。カマンベール・チーズはブリ・チーズの製法でリヴァロ・チーズの型で作ったといわれています。僧をかくまった農家の婦人がカマンベール・チーズの祖といわれている、有名なマリー・アレルという人物です。現在、隣町のヴィムーティエ町に記念の像がたっています。
そしてカマンベールチーズを語る上で『マリー・アレル』という人を語らざるを得ません、よって、彼女の人物像を紹介していきたいと思います。
◎ Marie Harel マリー・アレル(1761年4月28日 - 1812年)
オルヌ県ヴィムーティエ近郊のクルット(Crouttes)のフォンティーヌ家で生まれ、オルヌ県カマンベール村の農家に嫁ぐ。
フランス革命時(1789)、全てのカトリックの司祭達は、新しい共和国政府に対して、忠誠を誓うことを強いられ、それを拒むものは、処刑、追放の刑に処せられました。幾らかの司祭達は、彼らにとってよき時代が来るのを待ちながら、田舎に隠れていました。1790年、シャルル ジャン ボンヴォスト神父は、マリー アレルという農婦の家にかくまってもらうことになりました。チーズで有名なブリ地方出身の彼は、かくまってくれたお礼に、彼女に、チーズづくりに関する、とっておきの秘密を伝授したのです。
それがカマンベールチーズと伝えられていますが、ブリ出身の司祭はブリの製法を教えたのでしょう。司祭が大きさを指定したのか、マリーアレルが大きさを決めたのかは定かではありません。多分今と同じ大きさだと思います。彼女の農家にはブリチーズを作るための型がなく、リヴァロ・チーズの型で作ったといわれていることから、今の大きさのカマンベールチーズが出来たのではないかと、想像されます。
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ドイツ語のチーズ(Käse)の語源
語源はイタリア語のcase(カーザ、またはカーサ)から由来しています。これは「家」を意味し、各家によって色々なチーズが造られたことを表しているとのことです。このことからドイツやオーストリアには、イタリアからチーズが入ってきたという説が有力です。
『情報提供=関田淳子(日本オーストリア食文化協会顧問)』
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ここで、注意をしておきたいことがあります。どの本でもマリーアレルのことを一部誤解しているような節があります。マリーアレルがブリ出身の司祭から製法を聞いて作ったのは間違いありません。ですが、その当時カマンベールチーズは「わら」に包まれており、遠くへ輸送することは、非常に困難だったのです。つまり、マリーアレルはカマンベールチーズの祖であり、カマンベール村を中心に非常に評判のいいチーズだったことは確かです。
このチーズがすぐにフランス中やヨーロッパに広まったわけではないのです。
【(注)商売としての大量輸送が無理だったと言う意味です。】
どの本を見ても、カマンベールチーズはマリーアレルが作って流行ったと書いてありますが、これは自分の娘で同名のマリーアレルのことです。
ここが勘違いしていることです。ではなぜ、母親のマリーアレルのときは爆発的な売れ方をしなかったという事と、「わら」に包まれていたカマンベールは輸送に向かないと、いうことです。
また、ナポレオン(ボナパルト)が大好物だったという話は有名で、ナポレオンが寝ている鼻先へ、カマンベールチーズを近づけたら「ジョセフィーヌ、今日はだめだ」といったとか??
彼女の体臭がカマンベールチーズに似ていたのでしょうね。
ナポレオンが食べていたということは、何とかパリまでは運んでこられたのでしょう。上記に書いたような状態なので沢山のカマンベールがパリ市内で売られていたとは思えません。
自分の娘、マリーアレル(ヴィクトル・ペイネルという人物に嫁いだ)にその作り方を伝授したのは1791年だと伝えられています。
19世紀には、鉄道開通、蒸気船によって、パリやその他の地方に普及し成功しました。がそれによって、チーズを、どのように、上手にストックし、輸送するのかが、生産者達の問題になってきました。現在見られるカマンベールの経木箱が、リデル氏によって発明され、世界に輸出されるようになったのは大発明だったんでしょうね。
あと有名な話が、ナポレオン三世がこのチーズを賛美したと言う話です。この話は1850年、パリとグランヴィル間に開通した鉄道の開通式に出席したナポレオン3世がカマンベールチーズを気に入ったというので「娘」の方のマリーのご主人が、ナポレオンの宮殿にカマンベールチーズを献上したと言われてます。基本的には宮殿には女性が謁見することが出来なかったと思われる時代なので男性であるご主人がこのチーズを献上したのでしょう。このカマンベールチーズを気に入ったナポレオン三世はマリーにキスを贈ったと言われているようですが、このような理由で幾多の書物にかかれている事は多分間違いで、謁見は出来なかったことと思われます。
ナポレオン1世も3世もカマンベール好きだった。
(注)パリとグランヴィル間の鉄道の開通式当時のナポレオンは大統領で3世を名乗るのは、国民投票を経て帝政を開始した1857年からです。
もう一つ、ジョエ・クリニムというアメリカ人がカマンベールチーズで財を成し、感謝のしるしにと彼は、1928年マリーアレルの銅像を立てました。その後、第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦で像は破壊されてしまいましたが、現在また再建され現存しています。
今では世界中で愛されているカマンベールチーズですが、こんなエピソードがあったのです。
今度カマンベールチーズを食べるときがあったら思い出してみてください。
(注)このチーズは「原産地名称」の法的保護がされていないため、世界中で作られている。但し、1955年11月22日付の法令によりその製造に関する諸規定は正確に定められている。厚さ3~4cm 直径10cm 重量280g円筒形で表面にカビが生え経木の箱に入れて売られている。
★ブリーチーズ
大型のもので、直径52cm、中型のものでも、直径42cmあるフランスを代表するチーズで、フランスの宰相、タレーランが、1814~1815年に30カ国が集まって行われたウイーン会議の際、各国のチーズ52種類を集めて品評会をした、そのとき、選ばれたのがモー(Meaux)の近く、ヴィルロワ(Villeroy)村に住む農夫ボルニー(Baulny)氏が作ったブリーであった
ブリーは千年以上の歴史をもち、そこから発展したとされるカマンベールも200年以上の歴史があります。ちなみに、ブリーは「チーズの王様」、カマンベールは「チーズの女王」とされるほどの人気のチーズです。
ブリーの中で最も有名なのが「ブリー・ド・モー」ですが、これは「モー」という村のブリーチーズを指します。「モー市」はパリから北東へ約50kmの所にあるパリ近郊の村です。
ブリーの歴史は古く、8世紀のローマ皇帝シャルルマーニュ(カール大帝)が大好物だったといわれます。それ以外にも、タレーランや、ルイ16世なども愛好家として大変有名です。
■本物はAOC認定品だけ
フランスが本場のブリーやカマンベールチーズですが、現在世界中で生産されています。また同じフランスでも、それぞれ作られた場所や原料乳、製法などによって味や香りに大きな差があります。
フランスでは、歴史ある伝統的な製法や優れた品質を法的に保護するために、その原産地を特定し、厳格な条件の下にAOC(原産地統制呼称)が与えられ、その認定マークが表示されています。現在ロックフォールやブリー・ド・モーなどAOCの呼称が許されています。カマンベールチーズに関しては、「カマンベール・ド・ノルマンディー Camembert de Normandie」だけがAOCの資格を持っています。ちなみにノルマンディー地方は、マンシュ県、カルバドス県、セーヌ ・ マリティーム県、ウール県、オルヌ県を含み、これらの限られた地域で作られるのが本物のカマンベールチーズとされています。
しかし、日本や世界各国で作られるチーズはその規定がないため、ブリーもカマンベールもそのチーズ名が白カビチーズの代名詞のように使われており、その違いが判りにくくなっています。
ちなみに、AOCの規定では生乳(無殺菌乳)の使用を義務づけています。無殺菌乳から作るチーズと殺菌乳製のチーズとの大きな差は、その風味の違いです。牛乳の中に自然に繁殖している様々な菌の作用により、風味が強くなり、熟成すると相当強烈な匂いを発し、チーズに複雑な味を醸し出してくれます。なお、日本では無殺菌乳でのチーズの製造は認められていないとのことですので、この辺が大きく異なる点でもあります。
ビールの歴史
独Bier(ビア)仏Bière(ビエー)英Beer(ビア)
ワインの歴史も古いでしょうが、ビールの歴史も負けないくらい、いやそれ以上に古いのかもしれません。よくワインの歴史ではブドウが潰れ、窪みに溜まったブドウ汁が自然発酵してそれを偶然見つけた人間がいて、これがワイン発展につなっがっていったと記述にありますが、誰も見たことのない当時の様子を現代の人間が創造して作り上げた創作です。確かにそうなのかもしれませんが醗酵という技術は人間の手に委ねなければ出来ない作業なので当時の遺跡発見や記述がなければ信頼できるものではありません。
記録としては紀元前4000~5000年頃の出来事を記録している「ギルガメッシュ叙事詩」の中に、ワインの記述があります。また、紀元前3100~1500年に栄えたエジプト王朝のピラミッドの壁面にも、ぶどう栽培やワイン醸造の絵が描かれています。それ以上古い証拠はないのかというとブドウの化石がまとまって発見されることもあります。これは人類が食用にしていたかそれを加工したかの証拠ですから、信頼できる証拠でしょう。シュメール人が残した約6000年前のものと思われるロール・シールが発見されています。これはワインなどの液体を入れてあった壷なのでこれも信頼できる証拠です。
ではビールの歴史はどのくらい古いのでしょうか。
一般にビールはメソポタミア文明の時代から作られ始めたとされています。それは紀元前3500年~3000年頃といわれているので今から5500年~5000年前ですよね。9000年前という説もありますが、これは大きな運河や神殿があり、都市としての発展した生活文化が確立していたようだということでビールが造られていたという証拠ではありません。
では当時のビールはどうして造ったのかというと、穀物の醗酵です。
果実酒のように潰せば醗酵するような単純なものではありません。穀物を保存して、これが雨水や洪水などで濡れてしまったりすると穀物は発芽してしまいます。これを天日に干して乾燥すると柔らかくて香ばしい食べ物になります。おそらく当時の人たちはこのことを経験として知っていたのではないでしょうか。これを粥にしたりパンを作っていたものが水分が加わることによって醗酵します。これを知った当時の人が粥やパンを多目の水に浸し醗酵したものがビールの発見なのです。この原型がエールといい、イギリスのビールとして名前が残っています。
穀物が無ければビールが出来ません。
では小麦はいつ頃からあるのだろうかというと、原産地は現在のカスピ海南岸地域、アフガニスタンからイラン、イラクにかけての地域であると言われています。最も原始的なヒトツブコムギの栽培は1万5000年前からでイスラエルのジェリコからは8500年前のものと推定される小麦の栽培跡が見つかっています。
穀物にはデンプンを分解する酵素(アミラーゼ)ができることはご存知だと思います。これを乾燥したものがビールの主原料になる「麦芽」なのですが、粥にしたりすると酵素の働きで発酵し、練り固めておいたものはふくらんでパンになったり、粥は泡を発生させながらアルコール分を含む甘い汁になります。このことを経験として知ったわれわれ先祖は偉いですね。
では簡単に当時のビール造りの紹介です。
大麦や小麦で粥やパンを作ってちぎったりして甕の中にいれ水を入れます、この上にワラでふたをするように塞ぐわけですがワラには自然酵母があり、それが醗酵を促します。そしてビールができるのですがこのままではワラや麦粒がじゃまで上手く飲めませんがそのなかのワラを一本とってチュウチュウと吸ってビールを飲んだのですね。ワラは英語でストローといいます。飲み物を飲むストローはこの頃から有ったんですよ。(ホントです)
当時のビールは健康飲料として飲まれていたらしく医者の調合で量が決まっていました。もちろん給料の一部としてもビールで支払われていました。(アルコールは飲むと陽気になるので病気になって気分が落ち込むものは酒が薬代わりだったようです)
ヨーロッパはいつ頃からあるかというと古代ゲルマン人が定住生活に入った紀元前1800年頃には、すでにビールが作られていたことが記録にあります。
ビールは大きく分けると、エールとラガー2つの種類に分かれます。エールはもともとホップの入っていないビールだったのですが、現在ではホップが入っています。ラガータイプの歴史はまだ浅く、その誕生は15世紀のミュンヘン地方です。どう違うのかというと酵母の違いと醸造する温度の違いです。
夏に醸造を行うと、高い気温でバクテリアや雑菌が増殖し、ビールが酸廃してしまう為、気温の低い冬の時期にビールを作り、山の中に氷室を作ってそこにビール樽を貯蔵しておくという方法です。エールとの一番の違いは、低い温度の中で熟成してできるビールの熟成温度です。とてもマイルドな味わいになるため、バイエルンでは3月仕込みのビールを「メルツェンビール(3月ビール)」といいます。19世紀には酵母の研究も進み、貯蔵タンクの中で上にたまる酵母と下へ沈む酵母があることも発見されます。従来のエールで用いられるのは酵母が樽の上の方にたまる上面発酵でしたが、ラガービールでは酵母は下へ沈降したため、下面発酵と呼ばれるようになりました。この19世紀における醸造技術の革新にミュンヘンのガブリエル・セドルメイルとウィーンのアントン・ドレハーが協力して最初の冷蔵技術を完成させ、季節に左右されずビール作りに最適な環境を作り出すことに成功します。
1866年.フランス人細菌学者パスツールによって低温殺菌法(パストリゼーション)が編み出されます。パスツールはワイン酵母の正体が微生物であることを突き止めたことでも知られています。
当時、3大ラガービールは「ミュンヘン、ピルゼン、ウィーン」と言われていました。オーストリア・ハンガリー帝国が崩壊後ウイーンビールは衰退してしまいます。
オーストリアへ行かれた際には大手のビールもいいでしょうが、田舎に行ったら地ビールでもお楽しみください。
さくらんぼ
独Kirsche(キルシュ)仏Cerise(スリーズ)英Cherry(チェリー)
和名:桜桃(おうとう・さくらんぼ)バラ科サクラ属の落葉高木
さくらんぼ、とは『桜の坊・・さくらんぼう・・さくらんぼ』となりました。
桜桃の一種である甘果桜桃(セイヨウミザクラ)はイラン北部からヨーロッパ西部にかけて野生しており、また別の品種である酸果桜桃(スミノミザクラ)の原産地はアジア西部のトルコ辺りです。この二品種は黒海沿岸からヨーロッパ諸国へ伝わり、特にイギリス・フランス・ドイツで普及しました。
語源はギリシャ語のKerasosさくらの木、Kerasionさくらの実から、ラテン語のCerasusケラススになる。ドイツ語はゲルマン祖語のKeresja、Kirissaとなり、Kirsa(キルサ)からKirsche(キルシュ)になった。フランス語はその俗語形Ceresiaから12世紀にフランス語Ceriseとなりました。
サクランボから作る蒸留酒をドイツ語でキルシュ・ワッサーと呼ぶがワッサーは水ではなく蒸留酒の事を指す、日本ではワッサー=水と訳すがこれに関しては蒸留酒と訳すのが本当です。フランス語のEau-de-vieも『命の水』と訳されていますがこれも蒸留水(ブランデー)と思ってください。
(注)
ドイツ語で果実を醗酵させたものから直接蒸留によってえた酒を『ワッサー』と呼び、ブランデーに果物を浸して香味をつけたものをGeist『ガイスト』(お化けではありません)とよんで区別します。
リキュールとスピリッツの違いです。
アーモンド
独Mandel(マンデル)仏Amande(アマンド)英Almond(アーモンド)
和名:扁桃(へんとう)・巴旦杏(はたんきょう)
学名 Prunus dulcis バラ科サクラ属の落葉高木。
アーモンドの原産地はアジア西南部と推定されていますメソポタミアでは紀元前4000年頃から食用にされていたようです。また、旧約聖書にもたびたび登場しており、ひとつの木に沢山の実(食料)が付くところから、豊かさ(多産)、価値ある贈り物、2月から3月頃に毎年サクラに良く似た花をつけるので、目覚め(再生/春の訪れ)というようなことや、実が保存の効く食料になることが聖書に載っている理由の一つではないでしょうか。狩に出かけなくても毎年、決まった食料が取れることから人類が樹木の栽培をする、きっかけになった木の一つだとも言われています。
チグリス・ユーフラテス流域からヨルダン、イスラエルといった地中海沿岸へと栽培が広がっていき、シナイ山麓からナイル川沿いのエジプトやヒッタイト(現トルコ)へと栽培が広がり、やがてアーモンドはギリシャを始めとしたヨーロッパの地中海沿岸の諸国へと、その栽培は拡大していったのです。アレキサンダー大王の東方遠征(途中で死去)がアーモンドの栽培がギリシャから更に西方へと広まっていった時期と、ほぼ同じであることから、アレキサンダー大王がヨーロッパに伝えたのではないかとされています。
18世紀の中頃、スペインの宣教師フニペロ・セラ神父によってカリフォルニアに伝えられ、現在ではカリフォルニアが世界最大のアーモンド主産地として発展してます。
日本へは、かなり昔から伝わっていたようですが、本格的な輸入は、1950年代だそうです。
アメリカの最新栄養情報によると、心臓疾患のリスクを低下させてくれ、血中コレステロール値を下げるのに効果的という仮説が発表されています。高蛋白質を含み、9割が不飽和脂肪酸で、カルシウム、鉄、マグネシウムといったミネラル、ビタミンB群、Eなどバランス良く含まれています。また14.3%もの植物繊維を含んでおり、成人病を予防します。
現在では菓子の使用が多いように感じますが、一例としてウィーン菓子には、Mandelkuche(マンデルクーヘン)、Florentuner(フロランタン)、Marzipan(マジパン)、を始め、スライスアーモンド、パウダーにして、かなりのウィーン菓子に使用されています。
スイカ
独Wassermelone(ワッサーメローネ)仏Pasteque(パスティーク)英Watermelon(ウォーターメロン)
スイカ(西瓜、学名: Citrullus lanatus)
日本の夏の果物といえば・・・・ピンと来るのが、西瓜ですね。この西瓜、夏の水分補給にはもってこいの果物ですが、西瓜そのものを調理、菓子の加工品には水分が多いためにむいてはおらず、そのまま冷やして食べるのが最高ですね。そして果肉に含まれるカリウムは疲労回復ならびに利尿作用があるため、夏バテに効果があるとされているのはご存知でしょう。西瓜はアフリカが原産で、紀元前5000年頃のサバンナ。アフリカから、エジプト、ギリシャへと伝わり、その後、地中海からインド、中国へ。中国では、西から伝わってきたという意味の「西瓜」や、「水瓜」「夏瓜」などという字が当てられ、中国読みの「シイグワ」が、日本では「スイカ」という呼び名になったといわれている。日本には12世紀の『鳥獣戯画』にスイカの絵のようなものが描かれていたり、14世紀の『空華集』に載っているところから、平安時代には日本でも栽培していたのではないかともいわれています。スイカの成分の90%以上は水分です。スイカの果肉に含まれるシトルリンやカリウムには利尿作用があるので、体のむくみをとり、代謝を良くするため、二日酔いにも良いといわれています。カリウムは、利尿作用と同時に、塩分(ナトリウム)を腎臓から尿中に排出する作用があるため、腎炎、膀胱炎、高血圧の予防に良いといわれています。
『西瓜糖』
食べた事のある方も多い事と思います。この「西瓜糖」は創業弘化3年という老舗『万惣』では、昔、病人のために季節はずれのスイカを求めて多くの人がやってきたことから、1年中、スイカを味わえるようにと果汁を濃縮した「西瓜糖」がつくられたそうです。明治天皇にも献上され、西瓜糖は、明治や大正時代には、民間薬や、おやつとして、広まった。作り方は、砂糖は加えず、果汁をジャムのようになるまで、ただ煮詰めるだけ。スイカの果汁が凝縮されているので、腎臓機能を高め、風邪の時のノドの痛みにも良いといわれてますので西瓜のこの時期に是非味わってみたい逸品ですね。
(追加情報=鳥取スイカ)
2008年7月、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで販売された鳥取スイカが、同じUAE加盟国のラス・アル・ハイマ(RAK)の王族に贈られた。一玉三万円を超す破格値で売れたのも話題となり、ドバイで認られた、スイカとしてブランドイメージが確立されつつあるという事です。
(日本の主な品種)
祭ばやし、祭ばやし777、縞無双、必勝、春のだんらん、夏のだんらん、竜宝、暁ひかり、日章、翠章、貴ひかり、富士光、マイティー21、朝ひかりSR、サマーキッズ、甘泉、甘喜、甘湧、夏まくら、キャノンボール、月美人。沢山有りますね、でもこれだけでは有りませんよ、紙面の都合上割愛します。スイカの旬は立秋(8月7日頃)を過ぎる頃です。この頃には安く、美味しくなっているので沢山食べましょう、余ったら西瓜糖でも作って何時でも食べられるようにしましょう。
CAS冷凍(セルアライブシステム冷凍)
CAS冷凍(セルアライブシステム冷凍)
2006年頃に新しい冷凍技術がテレビ朝日で発表されていました。これからの食文化を変えるかも知れないシステムですが先ごろまたこのシステムについて各テレビ局が報告されていましたので、まだご覧になっていない方のために報告します。今回は『食材』そのものよりも管理についてです。
CAS(キャス)とは=Cells Alive System(細胞が生きているシステム)
の事で、最近の瞬間冷凍とどう違うのか。またCAS冷凍のこれからの可能性とは。賞味・消費期限がなくなるという新開発技術です。
<誘電CAS>冷凍庫内の磁場で水の分子を振動させ、氷点下10度前後でも凍らない「過冷却状態」をつくり、同20度以下で細胞全体を一気に冷凍する方法。細胞膜が壊れないため、アミノ酸や微量要素などの「うまみ成分」を閉じこめたままの冷凍が可能という。解凍後にドリップ(液体)がでないのが特徴。何よりも本当に細胞が生きているのかというと、臓器移植の動物実験で短期間ではあるが成功をしています。将来は医療の現場でもこのシステムは欠かせないということでしょう。
このシステムはもう実際に稼動しています、食品の冷凍品にこのシステムで冷凍したものは『CAS』のマークがついています。これが各家庭の冷蔵庫に設置されたら将来は消費期限、賞味期限という名前が過去のものとなるでしょう。実は家庭向けにすでに実用化されています。発売元は三菱電機で、MR-Gシリーズ、およびMR-Sシリーズ、CAS冷凍という表現ではなく過冷却と表現されています。価格帯は定価で20万円台後半といったところでしょうか。マイナス40度まで一気に冷やすこと(『瞬』冷凍と名づけています)で氷の粒を微細にすることができ、冷凍しても細胞壁を極力痛めずにすむため、冷凍したものを解凍した食品をおいしく頂くことができるとのことです。しかし業務用と同等のものとしてはこれからの研究が楽しみですCAS冷凍の開発もとは、千葉県我孫子にあるアビーという会社です。1997年にCAS冷凍技術を開発して改良を重ねてきたとのことです。日本以外にも世界中の10ヶ国以上でCAS冷凍に関する特許を所得済み、国内外30を越える大学、研究機関と現在も共同研究を続けているとのことです。
料理・菓子・なま物を問わず解凍後はこれが冷凍食品だとは思えないほどです。
ベーコン
独Speck(シュペック)仏Lard sale'(ラールサレ)英Bacon(ベーコン)
ラテン語で塩漬け豚肉をLardumといいます。それが12世紀のフランス語でLard(ラール)となりました。ドイツ語のSpeck(シュペック)という言葉は古いインド・ヨーロッパ祖語でspeiからゲルマン祖語のspikuになり、豚肉の皮下脂肪の意味に使われ、現在のSpeck(シュペック)になりました。
朝食にベーコンエッグ、サンドイッチにB(ベーコン)、L(レタス)、T(トマト)サンドと書くと主役そうだが別にベーコンが無くてもいいのかもしれない。が、それはちょっと間が抜けた料理になってしまうのはどうしてでしょうか。それもそのはず、ベーコンは主役で活躍するよりも脇役で活躍したほうが光り輝くのです。ジャーマンポテトやサワークラウトの脇役として必ず入っていますが触感を楽しむためではありません。ベーコンの脂を使って調理しているのです。日本のベーコンは脂身がまず入っていません。これではベーコン脂を使えません。ヨーロッパでベーコンを買うと、肉の部分よりも脂の部分が多いですね、これは小さく切って調味料として使うからです。最近の日本は『脂』は身体に良くないといって『油』を使う人が多いですがベーコンは大量に使うわけではありませんからご心配なく。冷たいフライパンにベーコンを入れてから火にかけると油が良く出ます、塩分も有るので塩は控えましょう。イタリアではカルボナーラにも使っていますね。パンチェッタ(Pancetta)というのを聞いたことがありますか?これがイタリアの生ベーコンです。
コレステロールを気にしている貴方、脳内コレストロールが減少すると「認知症」になるそうです。そして痩せすぎは短命になります。多少のコレステロールは必要ですね。
しょうが(生姜)
独Ingwer(イングヴァ)仏Gingembre(ジャンジャンブル)英Ginger(ジンジャー)
原産地はインドなどの熱帯アジアで、3世紀以前に日本に渡来したと伝えられています。原産地でもマラリア病に対する薬用、カレーに加える香辛料として利用されています。
ヨーロッパでの使用例では日本のように生の生姜ではなく「干し生姜」としてアジアから輸入されており生姜を使った料理・菓子などのレシピは「生」ではなく「干し生姜」の分量となります。ジンジャーブレッド、ジンジャークッキー、ジンジャーエール、ジンジャービアなど結構、生姜は使われています。
日本や中国では漢方薬・和漢薬として使用されており、発散作用、健胃作用、鎮吐作用があるとされる。ヨーロッパでは精力剤の効用がありと、されている国もあるようです。
また生姜には薬用効果があるとされ、スパイス・ハーブと同様、健康維持のため料理・菓子に使われている。日本ではご存知のように寿司のガリや紅生姜、生姜飴、生姜糖、葛湯、冷やし飴(飴湯)など等、地方によりいろいろと使われています。料理・菓子には生の生姜はもちろん、干し生姜、ジンジャーパウダーなどを既存のレシピの使用例よりも使い方を上手に使いこなす事により新しい料理が出来上がるのでお試しを。
WHO(世界保健機関)では世界的なインフルエンザの蔓延に危惧しています。昔から生姜は生薬とされていましたので、もしかしたら予防に生姜料理でも食べておきましょうか・・・・・。
なし(梨)
独Birne(ビルネ)仏Poire(ポワール)英Pear(ペア)
フランス料理で梨はジビエ(野鳥獣肉)のソースや付け合わせに使ったりもしますが、どちらかというと菓子の材料になったり、コンポートとして食されたりする事のほうが多いようです。
日本なし、中国なし、西洋なしの3つがあります。日本でナシが食べられ始めたのは弥生時代頃とされています。西洋なしの起源は中国で西ヨーロッパに移動して分化したものです。古くは古代ギリシアから栽培されていたそうで、日本へは明治時代初めに西洋なしが導入されたようです。西に行ったのがくびれ、日本に渡ったたのが丸型とはどうしてでしょうね。ヨーロッパも日本も自生の野生種があったという説も有りますが・・・・・。
"形は女神の乳房・果汁はビ一ナスの涙"と称される西洋なしですが、なるほど西洋なしのあのくびれた形とねっとりとしたあの触感と果汁はいい得て妙ですね。最近ではジューシーな日本なしが海外で人気が有るようです。一般的に日本なしは生食用、西洋なしは加工用が多いように思います。もちろん生食もありますが日本なしをジャムやコンポートにしたのは見た事はないですね(有りましたっけ?)。どなたかチャレンジしてみては如何でしょうか。
日本で売られている西洋なしの品種です。
●ラ・フランス
生産量のおよそ7割を占めており、日本における洋なしの代表格である。
●バートレット
生産量第2位。17世紀にイギリスで発見された品種。
●ル・レクチェ
生産量第3位。1882年、フランスでバートレットとフォーチュニーを掛け合わせて作られた品種。
●シルバーベル
収穫時期は遅めの10月下旬頃。ラ・フランスの自然交雑実生。
●ゼネラル・レクラーク
フランスで発見された、ドワイエネ・デュ・コミスの自然交雑種。
●オーロラ
米・ニューヨーク州農業試験場が、マルゲリット・マルーラと、バートレットを交配して作り出した品種。
●マルゲリット・マリーラ
9月初めには収穫され、食べ頃になる早生種である。1874年にフランスで発見された品種。
●ドワイエネ・デュ・コミス
ヨーロッパにおいて高級品種とされている。品質は良いが栽培が難しいため、「幻の西洋梨」とも呼ばれる。
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